“TEAM 430”結成20周年、BMXライダー“田中光太郎”の軌跡

“TEAM 430”結成20周年、BMXライダー“田中光太郎”の軌跡

interview by MASASHI UKISHIRO photo by HIKARU FUNYU

96年に5人のBMXライダーによって結成された『TEAM 430』。00年には「EVERYTHING IS FUEL TO OUR ENERGY(取り巻く環境全てが原動力)」をコンセプトにアパレルブランド『FOURTHIRTY』を展開。現在メンバーに、グランドワールドチャンピオンである内野洋平を始め、日本国内はもちろん、世界を代表するプロライダーが数多く在籍し、まさに430抜きには今日のBMXを語ることができない存在となっている。今回はそんな430から、長年にわたり日本のBMXシーンをけん引し、その与え続けた多大な影響から「日本の至宝」とまで呼ばれている、BMXの魅力を伝道する希有のトラベラー『田中光太郎』に、430について、BMXの魅力について話を聞いた。

 

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HDM:子供の頃ってどんな少年だったんですか?

田中光太郎:意外かもしれないですけど、子供の頃は超がつくデブだったんですよ。小学生の頃に「板橋区どすこい倶楽部」みたいなところからスカウトが来るぐらい(笑)。でもこのまま相撲をやると俺の青春は終わるなと感じて、相撲をやるくらいならと、母ちゃんに頼み込んで柔道を始めたんです。柔道はそこそこ強くて、区大会とか出るくらいだったんですけど、学年が上がるにつれ背が伸びて逆にだんだん細くなってきちゃって…中学卒業と共にフェードアウトみたいな…そんな少年でした(笑)。

 

HDM:BMXとの出会いは?

田中光太郎:高1の時に乗ってたママチャリがパクられて、新しい自転車を買いに行ったんです。そしたら「なんだこれ!?カッコいい!」って見たこともない形の自転車に出会って買ったのが『BMX』だったんです。何も知らずに学校に乗って行ったら先輩に、「お、BMXじゃん!これ技とかやる乗り物だって知ってるの?」って言われて、買ったお店にまた行って、BMXことをいろいろ教えてもらったり、ビデオを見せてもらったりして、一気にトリコになって。そこから独学で技を練習しだしたのが始まりですね。あまり情報がない時代だったから、「駒沢公園に行けばBMXやってる人いっぱいいるらしいぜ」って噂を聞きつけて、仲間を作りに2時間かけてよく通ってましたね。そしたらそこでBMXの大会があることを知って、「これに出ればまた仲間が増えるかも」と思って(BMXを始めて)半年後のアマチュアの大会に出てみたんです。そしたらいきなし優勝しちゃって(笑)。俺が人より上手かったっていうよりは、見よう見まねにオリジナルのトリックばかり勝手に作ってたのが功を奏して、評価された感じで。

 

HDM:それをキッカケにプロを目指そうと思ったの?

田中光太郎:「頑張れば俺でもやれるんじゃないか?」と思って必死になって練習したけど、それで飯が食べれるなんて考えてもなかったし、普通に高校卒業してコカコーラに就職しました。そこは結構自由な社風だったので、休憩時間に練習したり、トラックの荷台に積んで移動して、仕事終わったら隅田川で練習してって、そんな生活を送ってたんです。そんな中、僕と同い年ですでにプロとして活躍していたヤツがいるんですけど、大会前日にケガをして出れなくなったんです。で、「俺の代わりにお前が出てみたら」ってことで急遽出場することになって、仕事の休憩時間にコカコーラの制服着たまま大会に出て。それが「全日本選手権」っていう初のプロ戦だったんですけど、なんとそこでも優勝しちゃって(笑)。…でもそこからが地獄でしたね。

 

HDM:地獄…(笑)。どういうことですか?

田中光太郎:結局そこで勝てたのって、コーラのお兄さんがいきなり出てきて、こう、新鮮さというか、話題性というか、そういうのでたまたま勝てちゃったって感じだったんですよ。でもそこからプロ戦に出なきゃいけなくなっちゃったんだけど、やっぱプロはプロ、勝てるわけもなく(笑)。勝てないし、クラスは下げれないし、どうしたらいいんだろうって…で、3年くらい地獄の暗黒時代が続いたんです。

 

HDM:なるのど…その暗黒時代はどう克服したんですか?

田中光太郎:このままじゃいかんということで、23歳の時に思い切って仕事を辞めたんです。実際、練習中にケガをしちゃって仕事を休むこともあったし、仕事が忙しくてまともに練習ができないこともあったし、すごく中途半端だったんですよ。で、少し貯めてあったお金があったので、とにかくBMXだけでどこまでやれるかチャレンジしてみようと思って、ひたすら練習して、大会に出まくって。そしたら結構すぐに成績もよくなって、気付けば全日本大会で8連勝もしちゃって。そこでさらに上を目指そうと思って、1回きりのミッションではあったんだけど、アメリカに渡ることにして、フロリダとロスの大会にチャレンジしてみたら、そこでも優勝しちゃって(笑)。その2戦を優勝したことで、アメリカでもプロ登録されて、「これはいける!」と確信を持てたので、スポンサーに売り込みに行きました。

 

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HDM:そこで名実ともにプロライダーになったってわけですね。では光太郎君の所属する『TEAM 430』の結成について聞かせてください。

田中光太郎:現代表の上原洋と高校卒業した頃に知り合ったんですけど、すぐに意気投合しちゃって、けっこう行動を共にしてたんです。同時にライバルでもあって、同じ大会によく出場してたんだけど、大会のエントリー用紙にスポンサーを記入する欄があって、契約しているスポンサーも当時は全くなかったし、でもなんか書いた方がカッコいいし、「何か作ろうか?」ってなって、当時仲が良かった5人が集まって結成されたのがTEAM 430。名前もたまたまそれが4月30日だったっていう(笑)。

 

HDM:それが今からちょうど20年前ってわけですね。TEAM 430が20周年を迎えての感想は?

田中光太郎:あっという間だったけど、やっぱり続けててよかったなって。BMXにしても、430にしても、もうダメかなって思う時もあったし、このまま必要かなって思う時もあったし、バラバラになりかけた時もあったし…そうなりつつも、10周年、20周年を迎えて思うことは、ほんとその言葉に尽きますね。

 

HDM:この20年、またそれ以上のBMXシーンを見続けてきての、何か変化って感じてますか?

田中光太郎:うん、やっぱ変わりましたね、すごく大きく。技ももちろんそうだけど、モノ(BMX)も情報も手に入りやすくなったし。そのおかげで人口も増えたけど、悪く言えば薄くもなった。当たり前のようにある時代になったから、僕が最初に体感したような衝撃を受ける人も減っただろうし、簡単に出会える分、簡単に離れていく時代になった。でもパイは確実に広がってるから何よりだし、キッズも増えたし、俺も長年乗り続けてきてよかったなって(笑)。

 

HDM:430が果たしてきた役割って具体的にどういうことですか?

田中光太郎:430で言えば、「BMXってカッコいいよね、面白そうだよね」ってとこを徹底的に広めてきたこと。「ライダーってお洒落だよね」って思ってもらえるような洋服を作ること。そういうシーン以外へのBMXのアプローチやリンクを増やすことに力を入れてきました。ショーで技を見せて興味を持たせるのは当たり前だけど、今はネットで「BMX」って調べたら膨大な情報が出てくる時代だから、俺たちはその3文字を押させるまでの作業、扉を、これからもいろんなところに仕掛けていこうと思ってます。

 

HDM:BMXの魅力ってどこだと感じてますか?

田中光太郎:そうだなぁ、人力でどこまででも行けるところ。自分なりのカスタムで楽しめるところ。移動手段としても、遊び道具としても、まさしく最高で最強な自転車ですね。こんな自由度の高い乗り物は他にないんじゃないですか(笑)?

 

HDM:光太郎君のライディングスタイルのこだわりって?

田中光太郎:ライディングスタイルにも性格が出るんですよね。僕はけっこう派手と言われてるんですけど、自分的にはやってて気持ちい技、見てる人が気持ちがいい技かな。素人目にもわかりやすく、プロもうならせる技術や個性を盛り込んでプレーしてます。ダンスのイベント見に行ってカッコいいのあったらBMXに落とし込んだりとか(笑)。技って基礎はもちろんあるんだけど、規定がなくて、そうやってオリジナルの技を作って表現できるところも、BMXの面白さのひとつですね。

 

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HDM:BMXを始めてみたいなって人たちに何かアドバイスを。

田中光太郎:とにかく、「やってみたい!」って思ったなら、そのビリビリを感じたなら、どんな手段を使ってでもチャレンジするべき。その時にスタートした方がいい。そのタイミングを逃して、何年か経ってやっぱりやりたくなって始めたとしても、後から「一番最初にビリビリを感じた時に始めていたら、今の俺はどう変わってただろう…」って永遠に付きまとうから。俺も出会ったのが高校生の時で、いまだにもっと早く出会いたかったって思うことあるし(笑)。BMXだけの話だけじゃなくて、常にいろんなことに高いアンテナを張っていれば、今と違う世界を見ることができるんじゃないかな。

 

HDM:エクストリームスポーツに音楽は切り離せないと思うのですが、ライディングする時はどんな音楽をかけてますか?

田中光太郎:僕はロックとかドラムンベースが多いかな。ビートの早い音楽が合うんで。でもDJもちょくちょくやるんですけど、その時は思いっきりJ-POP(笑)。フロアの真ん中にマイク立てて、みんなで大合唱したりとか(笑)。

 

HDM:斬新ですね(笑)。DJと言えば、BAKU君と仲がよいですよね。

田中光太郎:BAKUちゃんとは知り合いの紹介で出会ったんですけど、初めてプレイを見た時に彼のジャンルを超えたスタイルに衝撃を受けちゃって。で、話しかけたら向こうも僕のこと知ってくれてて、これまたすぐに意気投合しちゃって(笑)。それで何か一緒にやろうってなって、BMXのショーにDJとMCを掛け合わせたら面白いんじゃないか?ってことで、僕とSharLee、BAKU、伊東高志とで『OIN』ってユニットを作って全国まわったんです。そしたらこのスタイルが評判よく、以後(BMXの)ショーケースの基本形として定着しちゃったという(笑)。その後も僕、SharLee、BAKU、太華、漢、TUCKER、群青の7人で『WAX』ってユニットを作ったりとか、ジャンルレスに楽しいこと、これまでにないものを作り出したくて活動したりしました。やっぱお手本がない世界なんで、マンネリ化しちゃうんですよね。だから自分が最先端で引っ張っていけるよう常にチャレンジしてます(笑)。

 

HDM:これまでのBMX人生を通じて出た「答え」的なことって?

田中光太郎:うーん、「笑う門には福来る」ですかね(笑)。とにかくマインドをポジティブに持つこと。ラッキーな人とアンラッキーな人の目の前で起きてることって、実際そう変わらないと思うんですよ。例えば自販機でコーラを買おうとしたのにコーヒーが出てきたとすると、ネガティプな人は「最悪だ…今日はマジついてねー」ってなると思うんだけど、ポジティブな人は「ヤッベ!神のお告げが来た!」ってなると思うんです。極端な話だけど(笑)。でも実際そうで、起きることはどうあがいても起きるし、起きちゃったことは戻せないし、それならポジティブに物事をとらえて、状況を好転させた方が自分にとって絶対にいいよってことかな。

 

HDM:今チャレンジしてることって?

田中光太郎:まだ形にはなってないですけど、ありますよ。次の3月で40歳になるんですけど、「40歳なりのライディングスタイル」を表現できるよう頑張ってます。若い子がどんどん出てくる中、例えばスピンの速さだとか、スタミナだとか、そこだけを競うなら正直もうかなわないです(笑)。でも、今でも僕が胸を張ってBMXに乗れてるのは、30歳の時もそうだったんですけど、その年齢でしか出せないライディングスタイルってものがあるんですよ。その「深み」「味」を今、追求してます。自分もだし、430もそうだけど、常に目標があって、その目標が今でもどんどん増え続けてます。嬉しい限りです。僕はお爺ちゃんになっても胸を張ってBMXに乗ってたいんで、まだまだ頑張りますよ(笑)!

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