GACHA|ダンスホールの三大要素 “ギャル”と“低音”と“黒い音”
音楽界でヒットソングが生まれる時、そこには常に凄腕プロデューサーの存在がある。ダンスホール界でトップアーティストのALKALINEやVYBZ KARTELをプロデュースし、その名が本国ジャマイカをはじめ世界のダンスホールシーンで知られた日本人プロデュースチーム“MEDZ MUSIC”は、音楽歴史に残る新鋭レーベルの位置を確立したと言っても過言ではないだろう。MEDZ MUSICでプロデューサー兼トラックメイカーをこなすGACHAは、本インタビューで「音楽に熱中しすぎて、昔も今も友達がいない」と、少し寂しげな笑い声で語ったが、私には「偉人は孤独」だという言葉が彼に当てはまった。
HDM:まず音楽遍歴を教えてください。
GACHA:小学生の頃からギターとキーボードを触っていました。好きなことや趣味も音楽しかなくて、ひとりっ子で友達もいなかったんで、ずっとそこに熱中してました。レゲエに出会う前は元々メロコアのコピーバンドをやってました。けど、音楽繋がりの先輩がレゲエが好きで、どんどんそっちの世界に持って行かれました。なんか、自分は変な子供だったんですよ。皆が受験勉強とかをしてる時期に、俺は「音楽でやっていきたい」っていう気持ちしかなかったんですよね。だから自然と同級生の友達とは遊ばなくなって、音楽繋がりの大人とばっかり遊ぶようになったんです。
HDM:もともと音楽を職業にしたいと思っていたんですか?
GACHA:子供の頃からそれしか考えたことなかったです。むしろそれ以外の感情を全く持ってない子供でした。
HDM:それ以外の感情しか持って無かったって(笑)。ちなみに小学生の頃の夢はなんだったんですか?
GACHA:テレビ番組のプロデューサーですね。自分的には変わってるつもりは無かったんですけど、先生とかにもすごく変わった子扱いをされてたから、子供ながらにその対応に困ってました(笑)。クラスでも人気者とかじゃなかったし、むしろ気持ち悪がられてました。
HDM:気持ち悪がられてたんですか(笑)?
GACHA:そう。だけど、稀にいる俺に近づいてくる物好きな女の子を彼女にして仲良くしてたら、それも周りから気持ち悪がれてましたね(笑)。っていうか、いかなる時も音楽に熱中しすぎて気づいたら友達がいなくなってるっていうのは昔からのパターンです。まあ、今思えばその時に音楽に熱中してたから、今に繋がったんだなって思います。
HDM:レゲエに出会ってからも、楽器を継続してやられてたんですか?
GACHA:地元のダンスホールバンドにギターがいなくなっちゃって、そこに誘われて加入しました。当時17歳の頃ですね。俺は高校生で、一緒に遊んでた先輩たちは20代後半だったんだけど、今思えば、ぶっちゃけ俺はその先輩たちに遊ばれてたなって思います。酒飲まされるのは勿論で、インタビューでは言えないこととかスゲエさせられたんだよね。その時にある程度俺の人格がおかしくなりましたね(笑)。
HDM:アハハ(笑)!
GACHA:高校を卒業して進学したんだけど、学長が逮捕されるっていうとんでもない大学に入ったんです(笑)。でも在学中に今トラックを作る時に使ってる「ロジック」の基礎を習ったんです。スゲエだらしない学校だったんですけど、音楽面だけ日本で最先端をいってる学校だったから、その経験が今に繋がってますね。ロジックを学んでから、「俺にもできるな」って思って、トラックを作り始めました。でも正直、当時の日本のトラックメイカーのクオリティがかなり低くて、正しいトラックを作ってる人があまりいなかったから、参考になる人が少なくて。興味はあったけど、どうやって作ってよいかわからないっていうような状況でした。
HDM:もうジャマイカに移住されて長いと思うんですが、初めてジャマイカに行ったのは?
GACHA:ちょうど10年前の2007年です。大学3回生の頃に行きました。当時はレゲエブームで、「レゲエで何かやるならジャマイカに行けば箔がつく」っていう謎の流れに乗っかったっていうのと、単純に本場を見てみたいっていう気持ちからです。
HDM:当時のジャマイカはどうでしたか?
GACHA:今よりもっとギャングとかも多くて、かなりイケイケな時代でしたね。今まで自分が生きてきた世界の裏側に来たって感じでだいぶぶっ飛んでました。俺はギターだけ持って行って、スタジオの庭で弾いてたりすると、色んな人が俺のギターに合わせて歌ってくれたんですよ。それも、元歌手で90年代に2~3曲流行ったようなアーティストだから超歌が上手くて。地元でやってた時なんて誰もそんなことをしてくれなかったからそれが凄く嬉しくて。自分が音楽を作って、それを周りの人と共有するっていうことが今まで無かったから、ジャマイカでそういう経験をして、「また絶対ここに戻ってこよう」って思ったんです。即興で音楽が作れる国っていうところに惹かれましたね。
HDM:2度目のジャマイカは?
GACHA:帰国してちょうど1年後ですね。初めてジャマイカに行った時に「ジャマイカに住もう!」って思ってたんですけど、俺はおばあちゃんっ子だったから、おばあちゃんが生きてる間は日本にいようと思ってたら、その年の春におばあちゃんが亡くなったんです。んで、おばあちゃんが亡くなる前に当時付き合ってた彼女との結婚資金を残してくれたんですけど、俺はその彼女と別れて、その結婚資金をジャマイカの飛行機代にあてて日本を飛び立ちました(笑)。
HDM:おばあちゃんに感謝ですね(笑)。2度目のジャマイカは移住を決意して行かれたんですか?
GACHA:当時はレゲエ業界ももっと芸能界ぽかったんだよね。俺はまだ子供だったから、ジャマイカに半年くらい行って、「MIGHTY CROWNみたいにリッチになってやる」っていう野望があったんですよ。半年で何千万って稼いでやるっていう意気込みだったんですけど、余裕で稼げなかったですね(笑)。でも運が良くて、ジャマイカに長期で住んでる先輩がレコードの買い付けをやってて、それの手伝いをしながなんとか生計を立ててました。
HDM:初めは何で稼ぐつもりだったんですか?
GACHA:プロデューサーとしてです。「自分で曲を作ってそれをヒットさせたい!」っていう思いで行きました。
HDM:2回目のジャマイカ生活はどうでしたか?
GACHA:最初に立ててたプランは全然上手くいかなかったです(笑)。まず、ジャマイカ人の家に住んでたんですけど、俺はパソコンとキーボードと録音機材を持って行ってて、それが全部家から盗まれたんです。もっと衝撃的だったのが、盗まれた痕跡をよく見ると、どう考えても家主の自作自演だったんです。普通外から窓を破ったら、ケーブルとかもぐちゃぐちゃになるはずなのに、そんなに荒れた様子もなくキレイにパソコンだけが抜き取られてて(笑)。それがキッカケで、初っぱなから軽い人間不信になったんですよね。だから最初の半年は音楽どうこうじゃなくて、ジャマイカ人のカオスさに色々巻き込まれましたね。ただ普通に生活してるだけで、しょっちゅう警察沙汰になったりもするし、若干気が狂いそうにもなりました。今まで生きてきた人生の中で、1番の地獄を味わいました。
HDM:滅茶苦茶ですね(笑)。
GACHA:本当にこの出来事がキッカケで更に人生が狂いました(笑)。でも、日本に帰ろうと思えなかった理由は、当時、毎日通っているスタジオで自分が憧れているプロデューサーとかと仲良くなってたんで、それだけがジャマイカ生活でのモチベーションになってました。まあ、自分自身が弱いとやられちゃう国なんで、当時の俺はまだまだ弱かったんだと思います。
HDM:そんな日本人が勝負するのにはハードな国ジャマイカに移住されたキッカケは?
GACHA:ここでやれるところまでやろうって決めてたんです。でも、日本人がジャマイカでホームレス並に貧乏になる必要ってないと思うんですよ。それだったら帰国して、就職して普通に生活する方が良いと思うんです。実際、今でも俺は自分のやってる音楽に限界が見えたらジャマイカを離れようと思っています。でも、今は幸わいなことに調子が良いので、帰る気は全くないですけど。逆に、次のステップとして、アメリカやイギリスとか音楽マーケットがデカくなる場所に行きたいと思っています。やっぱり、本当に世界に食い込む音楽を作るならそういう所に行くべきだなって思います。ジャマイカにいるだけじゃまだまだ甘いなと思いました。とりあえず、今はここでヒットを生み続けることを考えてます。それでしばらく頑張って、最終的に大きいマーケットに行けたらよいなって思っています。
HDM:これまでにも、MAVADO、AIDONIA、JAH MIEL、KONSHENS、JESSE ROYAL…等、数々のビッグアーティストと仕事をされていますが、 曲作りのプロセスを教えてください。
GACHA:最近は誰と作るかによって変えたりしてます。例えば、POPCAANとかALKALINEとかダンスホールアーティストの曲を作るっていう話になったら、パソコンとロジックを使って作るし、JESSE ROYALとかのレゲエアーティストとやる時は、ミュージシャンを呼んだり、その場でギターを弾いて、浮かんでくるメロディーを録音しておいて気持ちよいところをループしてると、上手いアーティストだとどんどんメロディーが出てくるんですよね。録音したのを後から利くと良いフレーズが何個も出てて、それを組み立てて1曲にしたりしています。なので、結構スピリチュアルな作業というか、偶然から生まれることが多いです。
HDM:フリースタイルなんですね。
GACHA:そうですね。でも、フリースタイルではあるけど闇雲に作ってるわけではないかな。やっぱり皆が好きな音だったり、気持ち良い音を入れるようにしています。曲作りする上で何が大事かと聞かれると、1発目のメロディの雰囲気。最初でしっくりこなかったら結局最後まで良いものは作れない。だから1発目のフレーズの時だけは超集中します。ラジオを聴いてて浮かぶものもあるし、ドラムの音だけを訊いて出てくるものあれば、ふとギターを弾いてる時に原曲になったりする時もあるし。音楽は曲の原型になるアイディアが必要なので、それを生み出せるように意識しています。
HDM:どんなシチュエーションの時に曲を作っているんですか?
GACHA:毎日何かしら作ってはいるんですけど、朝と夜が多いですかね。悩み事とかなくて、リラックスしてる時が1番良いですね。昔は頭で鳴ってる音を表現するのができなかったんだけど、今はようやくそれを表現できるようになってきました。
HDM:GACHAさんが曲作りをする上で1番重視していることやポリシーって何ですか?
GACHA:キャッチーさは心がけてます。あと、音の隙間はスゲエ意識しています。良い音楽には、絶対に心地よい隙間があるんで、そこが生まれるようにしています。
HDM:自身の音楽性に進化はありますか?
GACHA:何年かに1度、訪れる進化があります。去年の進化は凄かったかな。自分の中で、スピーカーからでる音自体の音域で、聴いてて気持ちのよい音域の出し方っていうのが、なんとなく自分の中でのフォーマットができ始めた頃に、POPCAANとかALKALINEとかから「お前のトラックマジでイケてる!」って言われだしてきた時が、今に繋がるターニングポイントだったと思います。音で言えば本当に小さな変化なんだけど、その変化が大きい進化になるんだなって思いました。
HDM:その進化から、自身の中で変わったことはありますか?
GACHA:経験が色んなことを教えてくれました。初めの頃は自分のトラックをでかい音で聴くと「うわ~」って落ち込んでたけど、今はやっとデカい音で聴いても「いいな」って思える様になってきました。
HDM:もう少し具体的に教えて頂けますか?
GACHA:昔は本当の意味でのレゲエの音のバランスとかを分かっていなかったんです。いわゆる“黒い音”って言ってるだけじゃ黒くならないんですよ。黒い音は音域的にちゃんと主張されてる部分があるんです。ブラックミュージックでスゲエ強調されてる音域の部分っていうのが、日本のレゲエとかで全く出せてなくて。それが最大のポイント。実際にジャマイカに住んで、音域とかっていう体で覚えた物っていうのは、日本の生活環境だったら絶対分からないね。日本では低音を聴く文化がないから、本物の正しい低音を鳴らせる人がいないんだよね。外国人が本物の寿司を知らないのと一緒なんです。
HDM:それに気づいたキッカケは?
GACHA:人を見て気づきました。特に女の子。やっぱり女の子を踊らせられないとダメなんだよね。ダンスホールは全てが女性中心だから、女の子が好きなトラックを作れないと絶対にイケてないんですよ。女の子がスゲエ踊れるトラックこそが、音域のバランスがめちゃめちゃ良いんです。なのでそういうところにこだわっています。ダンスホールって若いから、俺くらいの年齢でヒット曲が無かったら、「音楽やめなよ」って言われちゃうんです。実際に30歳の頃に言われたことがあって、すごく悔しい思いをしました。その時期に自分の音楽的にも変化が見えてきて、その悔しいっていうメンタリティが進化に繋がったんだと思います。「マジでジャマイカ中に俺の曲を知らせてやる」って強く思いましたね。中途半端に日本やヨーロッパで知られてるっていうのは、もうどうでもいいやって思いました。ゲットーピープル全員が知ってる曲を作ってやるって。それが今の『MEDZ MUSIC』を始める前の気合いでもありました。
HDM:MEDZ MUSICを結成した経緯は?
GACHA:MARIEちゃんが誘ってくれたのが始まりですね。あとは信用できるミュージシャン仲間であるCHALLISがメンバーにいるから。俺が1人になってから誘ってくれる人も結構多かったんだけど、なんか皆俺を利用したいようにしか思えなくて断り続けてきたんです。そんな中で、MARIEちゃんがスゲエ苦労してきたことも知ってたし、実際に俺も1人になってからは自分を支えてくれる人もいなくなっちゃって、悩んでたタイミングでもあって。お互いに同じタイミングでチームを必要としてたんだよね。あと、自分の尊敬する人にされたアドバイスが、「レゲエで何かをやっていくにはサウンド、アーティスト、プロダクション、皆でチームアップしていかないと回るものも回らない」って言われて、チームの大事さを知りました。だからMEDZは仲間を全員巻き込こむくらいのスタンスでやっています。
HDM:MEDZ MUSICの代名詞にもなった1発目のリリースは、ALAKALINE『12PM』ですが、この曲の反響はかなり凄かったんじゃないでしょうか?
GACHA:今の時代音楽業界でYouTubeの再生回数が名刺変わりみたなところもあるから、YouTubeで数字出せるようになりたいなって思ってたんです。『12PM』をアップした直後から、アメリカのラッパーで例えたらWiz Khalifaと同じくらいの速さで数字が上がって行ったから、予想以上にとんでもないことが起こって驚きでした。逆に「日本人が作ったものがこんなにヒットして大丈夫なのかな?」っていう心配もありました。「ジャマイカ人からヘイトとかされるんじゃねえのかな?」って思ってたけど、意外にも誰もそんなことなんて気にしてなくて、むしろ「やっとお前も1曲ヒット出したな」みたいな感じで応援もされましたね。それはやっぱりキングストンの良いところかな。ヒット曲なんて皆べらぼうに出してるから、「1曲当てたからなんなの?」位な感じでした。
HDM:2発目の VYBZ KARTEL『Love it』も衝撃のヒット作品になりましたよね。彼は獄中にいるアーティストだと思うんですけど、どうやってレコーディングしたんですか?
GACHA:もともとMEDZは皆が信じられないところまで行こうっていうのがコンセプトだったから、カーテルはやらなきゃっていうのは最初からあったんです。1番最初にカーテルとできるかもっていうタイミングが、AIDONIAの『JORKER SMORKER』を出した後に、カーテル周りの人間から、曲作れるかもっていう話があったんけど一度流れて。その後もカーテルの奥さんに会ったりした時に相談したりしてずっと追いかけてたんだけど、結局本人までたどり着けなかったんです。彼に関しては秘密が多すぎるから、カーテルを録るっていうことに対して誰も何もやってくれない。今回の制作キッカケは『12PM』が出て、カーテルサイドの人間から認めらたっていうところからが始まりです。録音自体については、本当に秘密が多すぎて言えないです。
HDM:なるほど。
GACHA:まあ、これだけ言えるのが、関わる前は俺も「どうやって録ってるのかな?」って色々想像はしてたけど、その自分の想像を遥かに超えてました。とんでもない録り方をしていました。本当にこの人は地球上で超ヤバいレベルのDEEJAYだって。カーテルは獄中にいながらも本当に偉大な人なんだなってうのが伝わりました。そして、カーテルをやってから、周りからも認められるようになってきましたね。対応が全然違くなりました。
HDM:この『Love it』のリディムがALKALINEに盗作されたという騒動もありましたよね。
GACHA:俺が率直に思ったのは、単純にアルカは俺たちのトラックが好きなんです。ああいう形でリリースされたのは、きっとアルカのプロデューサーの悪知恵なんだと思う。とりあえず、曲の権利も分割になったから、今となっては笑いごとになってます。「お互いの曲のボスを助けたからいいんじゃないの?」ってな感じで。ジャマイカ人には「90年代にはよくあったことだよ」って話をされました。でもアメリカだったら大騒ぎだけどね(笑)。でもまあ、ジャマイカなんで。
HDM:さすが、ジャマイカですね(笑)。
GACHA:一騒動はあったけど、アルカとも仲は普通だし、これからも一緒に曲はやっていくつもりだよ。それに結果アルカと2曲作れたから、俺としては最高です。『Love it』を発表する前にアルカが先にリリースしたから一瞬焦ったけど、カーテルも「訴えろ」とかの前に「早く俺の曲を出せ」って言われたから良かったですかね。それに、カーテル本人も『Love it』は曲もMVも全部気に入ってくれてるらしいから、本当に良かったの一言です。
HDM:先日『Love it』のWALSHY FIRE×BAD ROYALによるリミックスが発表されましたね。
GACHA:実は WALSHY FIRE はジャマイカにも家を持ってて、MAJOR LAZERが忙しくない時はジャマイカに滞在しているんだよね。7~8年前から知り合いで、あの人もアメリカに住んでるジャマイカンだから、ローカルのジャマイカ人と仕事する時とか結構苦労してたりしてて、そういうところで通ずるものもあって仲良くなって、家によく来て一緒に制作とかしてたんだよね。世に出てないだけで実は2人で作った曲も結構あるんだ。そういう仲もあって今回のリミックスは実現しました。今年日本にも連れてくしね。
HDM:MEDZ MUSICを立ち上げてからまだ1年未満ですが、 立て続けにビッグアーティストを連発するなど、リリースがかなり安定でハイペースですよね。
GACHA:そうですね。ハイペースにやっていくっていうのもMEDZ MUSICのコンセプトのひとつです。立て続けだと大変でもあるけど、一生懸命やるのも今しかないなって思っています。
HDM:ジャマイカ人とお仕事をされる上で、スムーズに制作をする為に工夫されていることはありますか?
GACHA:工夫はしてますがいつも狂わされるっす(笑)。余裕で半年ペースでスケジュールを狂わされますね。去年から終わってない仕事もいっぱいあるし。でも、ここで止めたら意味が無いんで、遅れてでもこなして行くっていうのがジャマイカのスタイルなんだと思います。
HDM:相当ハードな環境下で、リリースペースが安定しているのは凄いですね。
GACHA:毎日サラリーマンくらい働いていますもん。貯蓄もしています(笑)。リリースに関しては無理やりタイトスケジュールをこなしてます。そして、これからも更に攻めて行こうと思っています。
HDM:すごく楽しみです。次に注目しているアーティストは既にいるんですか?
GACHA:難しいな~。沢山いるんですけど、まだ特記できる人は決められないかも。
HDM:レゲエ、ダンスホール以外のジャンルでは?
GACHA:世界的なビッグアーティストとやりたいです。DRAKEやRIHANNA、NICKI MINAJはそんなに遠くないと思っているんで。ダンスホールフレイバーがあるポップスターとやることが次の目標ですね。