普遍の中に見つける光 “ジム・ジャームッシュ”4年ぶりの最新作『パターソン』
「『パターソン』はディテールやバリエーション、日々のやりとりに内在する詩を賛美し、ダークでやたらとドラマチックな映画、あるいはアクション志向の作品に対する一種の解毒剤となることを意図している」 ジム・ジャームッシュ
インディペンデントシーンを牽引し続け、その類い稀な感性で世界中の多くのクリエイターやアーティストたちまでも魅了するジム・ジャームッシュ。彼の4年振りとなる新作映画がここに完成した。自身の集大成とも言える今作は、彼らしいオフビートな空気感の中、主人公が巡る1週間を追う。そこに大仰なドラマは存在せず、ただ規則的な日常や人々との関係、それらに触発された美しい詩があるだけだ。新しいものを絶えず手に入れ、ソーシャルネットーワークで自らの日常を彩り、多くの他人にそれを認めてもらうことでようやく人生における充足感が得られるというシステムの中にいる人々には、もしかするとこの映画は至極退屈に映るのかも知れない。“満たされる”という感覚は、いったい何処からやってくるのか。まるで、そのことを改めて知る為に生まれた物語のようだ。
『一週間の歌』を知っている?あの独特な音階のロシア民謡を、きっと誰でも一度は耳にしたことがあるだろうと思う。その歌詞はこんなふうだ。「日曜日に市場へでかけ 糸と麻を買ってきた 月曜日にお風呂を焚いて 火曜日はお風呂に入り 水曜日は…」という具合に、何の変哲もない何処かの誰かの1週間の日常を、ただありのままにメロディに載せているだけの歌だ。ジム・ジャームッシュが脚本・監督を手掛けた最新作『パターソン』を最初に観た時、主人公の辿る「日々」を静かに追いながら、まるで連鎖反応のように脳裏にこの『一週間の歌』が浮かび、聴こえてきた。この映画を動かしている軸にあるものは、少しのマイナーチェンジがたまに起こるだけの穏やかな日常と、そこに存在する詩だ。物語は月曜日から始まる。主人公の「パターソン(アダム・ドライバー)」は自分と同じ名前の街で暮らし、ローカルバスの運転手として勤勉に働く静かな男だ。毎朝6時を15分ほど過ぎたあたりに目を覚まし、隣で眠る妻にキスをし、ひとりキッチンでシリアルの朝食を取り、妻が用意しておいたランチボックスを片手に家からバスの車庫までの道を徒歩で出勤する。いつものルート、決められた停留所、そこから見える風景…ごくありふれた日々の営みのさなかにも、パターソンの思考には詩を成すフレーズが絶えず浮かび続けている。彼はワーキング・クラスであると同時に詩人でもあるのだ。彼の描く詩に大それたドラマは必要ではなく、例えばマッチのロゴや個性的な妻が見たという夢の話など、自身の周囲に当たり前にようにある普遍の存在から世界を広げることにたけていた。彼は自分以外の人々の人生に耳を傾け、同調し、時に受け流し、巻き込まれ、ひとり静かに詩を紡ぐ。それが彼の日々であり、人生だ。ジャームッシュは今回の作品についてこう語る。
「『パターソン』はひっそりとした物語で、主人公たちにドラマチックな緊張らしき出来事は一切ない。物語の構造はシンプルであり、彼らの人生における7日間を追うだけだ」
ニューヨーク近隣にありながら、どこか簡素でひっそりとした佇まいを感じさせるパターソンという街そのものにも、ある種の“人格”が存在しているようだ。本作でも彼の詩を引用しているほど、ジム・ジャームッシュ自身が敬愛している詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集が、舞台を決定するキッカケとなった。
「たしか25年くらい前かな。ウィリアムズがパターソンに捧げた詩を読んで、とても興味を持ったんだ。パターソンはニューヨークからそれほど遠くないから、簡単に日帰りできる。それで1日ふらりとパターソンを訪れた。映画の中でバスドライバーのパターソンが座っていたのと同じ滝のそばに座って、工場やインダストリアルなビルが並ぶ街を見て回った。それでいつかここで映画を撮りたいと思ったんだ。ウィリアムズはパターソンという街自体を人のメタファーとして書いていた。それで僕は、パターソンという男がパターソンに住んでいる、ということを思いついた。こういうアイデアをすべて当時思いついたまま、長いことキープしていたというわけなんだ(笑)。パターソンという街は歴史的にとても興味深いところで、さまざまなアーティストと関連があるし、特別な場所だ。それはメンフィスやニューオリンズとも異なる。とてもミステリアスなところだと思う」
前作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』から4年振りとなる本作は、幸・不幸、安定・不安定の境目のない日々が、独特のオフビートの空気の中で淡々と綴られていく。派手でなく、大袈裟でなく、賑やかでもなく。だけど特別な“何か”がそこには確かに在る、ということを知る為のストーリーだ。
「『パターソン』はディテールやバリエーション、日々のやりとりに内在する詩を賛美し、ダークでやたらとドラマチックな映画、あるいはアクション志向の作品に対する一種の解毒剤となることを意図している」
この映画はとてつもなく幸せな物語だ。それを象徴する言葉が、あるワンシーンでのたった数秒のやりとりの中にある。パターソンは、毎夜の日課である犬の散歩の道すがら、いつも通りビールを一杯だけ飲む為にいきつけのバーに立ち寄った。バーテンに「調子はどうだ?」と聞かれると、彼はこう答えた。「不満はないよ」。
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ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。
公開:8月26日(土)~
ARTIST INFORMATION

ジム・ジャームッシュ
1953年、アメリカオハイオ州アクロン出身。作家を目指しコロンビア大学に入学し英文学を専攻。その後、ニューヨーク大学大学院映画学科に進み、卒業制作で手掛けた『パーマネント・バケーション』(80)で注目を集め、第2作目となる『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)では独創性と新鮮な演出が絶賛され、84年カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞。世界的な脚光を浴びる。96年ニューヨーク映画批評家協会賞撮影賞を受賞した『デッドマン』(95)、05年カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『ブロークン・フラワーズ』(05)、制作に18年をかけた短編集『コーヒー&シガレッツ』(03)など話題作を発表。長年、インディペンデント映画界において、独創性に富み影響力のある人物として認められ、独特のオフビートな作風で世界中の映画ファンを魅了し続けている。本作は前作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(13)から4年ぶりの新作となる。 また、『イヤー・オブ・ザ・ホース』(97)以来20年ぶりの音楽ドキュメンタリー、伝説のバンド“ザ・ストゥージズ”にせまる『ギミー・デンジャー』(16)も9月2日に公開される。