THA BLUE HERB|結成20周年もあくまで通過点 今日もどこかで音楽を鳴らす

THA BLUE HERB|結成20周年もあくまで通過点 今日もどこかで音楽を鳴らす

interview by HIROYUKI ICHINOKI photo by UG

結成20周年を迎え、10月29日には日比谷野外大音楽堂での20周年ライブ予定されるTHA BLUE HERB。レーベルの運営からライブのブッキングに至るまで活動を自ら切り盛りし、札幌から全国へと音楽を響かすその歩みは昨日と今日、そして明日へと彼らの音楽をつなぎとめてきた。ライブDJを務めるDJ DYEの公式MIX CD『THA GREAT ADVENTURE – Mixed by DJ DYE』に続いて、『愛別EP』をリリースしたばかりのグループから、ILL-BOSSTINOを迎え、これまでのアルバムを中心にその道のりをひもといた。

 

 

HDM:20年グループをやってて、音楽との距離感で変わったこととかありますか?

ILL-BOSSTINO:別に変わらないね。相変わらずレコード買って聴いてるし、クラブにも行くし、20年前とやってることはほとんど変わらない。超楽しいね

 

HDM:日々の生活にも変化なく?

ILL-BOSSTINO:そうだね。仕事して、札幌帰って、仲間と遊んで。あとはジム行って、DJ DYEと練習して、家でレコード聴いて、本読んで…まあ普通じゃない?

 

HDM:ですね(笑)。それ以前に、そもそもヒップホップに出会うまではどんな音楽を聴いてました?

ILL-BOSSTINO:高校の時とかバンドが好きだったから、パンクとかめちゃくちゃ聴いてたし、実際LAUGHIN’(NOSE)のコピーバンドやってたよ。ヒップホップは高校卒業前後ぐらいからだね。

 

HDM:大学で函館から札幌に出てきたとのことですが、O.N.Oさんと最初に出会ったのはいつ頃ですか?

ILL-BOSSTINO:’91、2年かな。札幌は小さな街だけど、その頃から音楽シーンは結構完成されてたし、俺とかO.N.Oは札幌の外の人間だから、入っていく隙間もそんなになかった。でも世の中が元気な時代だったから、パーティがんがん打って、O.N.OがメインのDJで、俺はオーガナイズしたりする側に立って遊んでたね。

 

HDM:BOSSさんがラップを始めたキッカケはB.I.G. JOEさんなんですよね。

ILL-BOSSTINO:そうだね。B.I.G. JOEのラップを見てカッコいいなと思って俺もやってみようと思った。B.I.G. JOEは当時1人だけ突出してたからね。その頃は、俺とO.N.OとB.I.G. JOEとTAMA(DJ TAMA / 現在SPCのメンバーとして活動中)の4人で札幌でのし上がっていこうぜって感じだったね。

 

HDM:その頃のライブはどういう感じでやってたんですか?

ILL-BOSSTINO:オリジナル曲があるわけでもないからほとんどフリースタイルみたいなもんだよね。パーティの添えものみたいなもんで、俺達の名前でお客を呼んでたわけでもないし、O.N.OがDJやってる横で煽るMC入れたりとか。

 

HDM:それからまもなくO.N.Oさんがトラックを作り始めることになるんですか。

ILL-BOSSTINO:俺が初めてニューヨークへ1人で行って、いろいろ見て札幌に持ち帰った頃にO.N.Oもトラックを作りだしたんだけど、最初に作ったトラックが凄い良くて。それで書いたのがサードアルバムに入ってる『この夜だけは』の元になったリリックなんだけど、それから「やってみよう」みたいな感じになって、自分らで曲を作り始めていったね。

 

HDM:そのあたりがグループとしての始まりになるかと思いますが、リリースが始まるのはもう少し後で。

ILL-BOSSTINO:俺らの楽曲がコンピに収録されたりしだして、3年ぐらいそれなりに修業期間はあったよ。それで、「じゃあそろそろレコード作ってみようか」みたいな感じになって、カセットテープを送って契約の話を待つみたいなことをずっと続けてたんだけど、何も起きなくて、で、めんどくせえから自分らで作ろうぜっていうところが’97年。俺らも踏ん切りつくのにそこまでかかったんだよね。あの当時はさんピンだの何だのがあって、それなりに景気もよかったから。

 

HDM:グループ名が決まったのもその頃ですね。

ILL-BOSSTINO:「BOSS THE MC & DJ ONO」でいくより新しいグループ名作ろうよって話で。でも別になんだろ、缶ビールを開けて話し始めて、それを飲み終わる前にはもう決まった感じだったね。まあ、THE BLUE HEARTSも好きだったし、HEARTSとHERBをかけて、THEはヒップホップっぽくTHAみたいな。まったくのノリだよ。

 

HDM:BOSS THE MCのソロ名義でその頃出したカセットテープでは「THA BLUE HERBS」っていう表記だったようですが。

ILL-BOSSTINO:たぶんその時点でまだ固まってなかったんだと思う、そういう意味じゃ。

 

HDM:アナログをリリースする為に、渋谷のレコ村でディールして金作ったっていう話を聞いたことあるんですが、それって…。

ILL-BOSSTINO:ホントだね。基本的にはサラ金行って借りてっていう感じだけど。カセットアルバムとかはO.N.Oの部屋でMTRでマイクに靴下かぶせて録ってたけど、初めてちゃんとスタジオを借りて録ったんだよ。

 

HDM:カセットや最初の12インチシングル2枚からファーストアルバム『STILLING,STILL DREAMING』に至るラップスタイルの変化って劇的ですよね。粗削りなテンションが出ていたものが腰のすわったものになって。

ILL-BOSSTINO:俺も自分でそう思う。今聴くと(ファースト12インチの)『RAGING BULL』と『SHOCK-SHINEの乱』は相当力が入ってたんだけど、(セカンド12インチの)『知恵の輪』と『北風』には音楽性がちょっと出てるし、そこからファーストまででもすごい進化してると思うよね。だからそこは段階踏んでたんだね。

 

HDM:その間にラップが変わった具体的な何かがあったんですか?

ILL-BOSSTINO:ないよ。あの時代はばんばん録ってたから、アルバムもすぐ録ったと思う。でも、ファーストアルバムの1曲目の『ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO』を録ったときにコツみたいなのを掴んだ記憶がある。あんまり力を入れずにライミングでちゃんと聴かせていくっていう。

 

HDM:結局それはストイックな歌詞が呼んだスタイルだったのかなとも思うんですが、リリック書いてて掴んだと思った瞬間や曲はあったんですか?

ILL-BOSSTINO:いや、毎回いいものだと思って録音して、リリースしてるから、何かの曲がキッカケとかいうのはないね。

 

HDM:NASの『Illmatic』の対訳を読んで意識が変わったってことは以前何度もおっしゃってますけど、それ含めてリリックの背景にあったものは?例えば特に読んでた本のようなものだとか。

ILL-BOSSTINO:特にないね。あるように思われてるかもしれないけど。あんま覚えてないよ。

 

HDM:じゃあ、『STILLING,STILL DREAMING』のリリース以降、そのリアクションに確信したというか、もっと違うことを書こうみたいなモチベーションはありませんでした?

ILL-BOSSTINO:いや、そんなのもなかったね。この道でいいんだなってライブで確認したぐらいで。でも、言ってることはたぶんそんなに変わんないんだなと思ったよ、DYEのミックス(『THA GREAT ADVENTURE – Mixed by DJ DYE』)聴いてても。「金が欲しい」だとか「のし上がってやる」っていうような曲は今はあまり作らなくなったけど、「自分らのスタイルってのはこういうものなんだよ」っていうヒップホップ的なトピックは、最初から変わんないなっていうのがあるね。

 

HDM:そうなんですね。ただ、セカンドアルバムの『Sell Our Soul』はそのヒップホップ的なトピックから更に踏みこんだ1枚でもありましたよね。

ILL-BOSSTINO:旅先で書いてたリリックだし、11ヶ月の旅の間ずーっとぶっ飛んで、ぶっ飛んだ世界のまま帰ってきて、それが醒めない状態でやりきったって感じだから。俺らのアルバムはそれぞれがそれぞれの状況の中で越えられないものとして存在してるんだけど、「ぶっ飛んでる状態で作ったアルバム」って意味では、俺らのキャリアの中ではセカンドが断トツだね。

 

HDM:なるほど。サードの『LIFE STORY』はどうですか?周囲に対する視線もここで曲になってて。

ILL-BOSSTINO:そう考えるとサードぐらいからやっと「落ち着いて音楽を作ろう」っていうふうになったのかもしんないね。その頃にはもう日本全国に行っていて各地に帰るべきハコも仲間もできてる状態の中で、関係をどう深めていくかっていう感覚だから。そうなってくるといわゆるライフストーリーというか、それぞれの生活だったり、暮らしの中のことを歌っていくっていうふうになっていくんだよね。30代中盤で、ただ遊びや楽しいっていうことだけでヒップホップを続けられるような時代でも世代でもなくなってきて、それはお客さんもいろんな面でそうだし。

 

HDM:更に続くフォースアルバム『TOTAL』は、3・11のことを直接的に歌った曲こそ少ないですが、3・11以降の世の中のムードとリンクしたアルバムですね。

ILL-BOSSTINO:『LIFE STORY』は良くなっていく時代観なんだけど、3・11以降で悪くなっていく時代の中で、「どうやって生き残っていくか」っていうような感覚があった。やっぱ3・11があったからそれによって新しく知ったことも沢山あったしね。

 

HDM:時代に並走するアルバムという色合いが今までに以上に強いアルバムだし、現状を打破していこうっていう意志の力が改めて強く出たアルバムじゃないかなと。

ILL-BOSSTINO:そうだね。俺らの仲間が死んじゃったりとか、そういうこともあったから。

 

HDM:そうしたアルバムを経ての結成20周年ですけど、率直に今どんな思いですか?

ILL-BOSSTINO:作るべくしていい曲作れてるし、やるべくしていいライブができてるんで、それは昔から変わらないね。ずーっとそれが続いてるって感じ。

 

HDM:一口に20年といっても長い年月ですけど。

ILL-BOSSTINO:毎回毎回のアルバムでその数年分を総括して進んできてるし、年末のライブではその年を総括するわけだし、毎回毎回、節目節目で総括してきてるところがあるから、20年で特別に総括っていうほどのことではないよ。前人未到の場所ではないしね。ただ、レーベル運営して、ブッキングもして、制作も経理もして、フライヤーやジャケットも作ってとか、そういうこと全部込みでの20年だから、長かったし濃密だったなとは思う。

 

HDM:これまでの活動で多くのラッパー達に与えてきた影響についてはご自身でどう思ってます?

ILL-BOSSTINO:うーん、どうだろうね…わかんない。ただ、俺らっ“ぽい”音楽なんてのはみんな消えてったけど、俺らみたいなビジネスでやってるヤツらは凄く増えたから、そっちは面白いなあと思うね。別に俺らに音楽的な影響を受けてなくても、自分達の音楽を自分達で発表してるヤツは沢山いるわけじゃん、ヒップホップに限らず。今となっちゃインターネットもあるし当たり前なんだけどさ。やっぱ凄いヤツはいきなりドンと出てくるから、出てき方やアプローチの仕方は違っても共感できるっていうかね。

 

HDM:言ったら、THA BLUE HERBが示した、「どこにいてもヒップホップができる」っていうことの延長に、今のシーンの広がりもあるわけですからね。4年ぶりの新曲となる『愛別EP』についても聞かせてもらえれば。

ILL-BOSSTINO:札幌と俺らがよく行く北見っていう街の間に愛別って駅があるんだよ。そこをよく通ってるときにこの2文字がいいなあと思って、「いつか作品に落としこみたいな」とずっと思ってて、それとこの20年の活動を重ねた。(内容は)まあ『愛別』っていう漢字2字そのままじゃない?その言葉にこめた意味はリリックスだし、トラック聴いて書いてったらこうなったって感じで難しいことは何もないよ。いつものようにカッコいい曲作ろうっていうだけだから。

 

HDM: 10月29日には日比谷野外大音楽堂でのライブが予定されてますね。今後についてはどのように考えてますか?

ILL-BOSSTINO:野音がまずとりあえずあって、そこから先のことは何も考えてない。まだまだそんな考えられないね。悪いけど今日もライブだからそのことしかなかなか頭にないし。まあ、今はいい曲も作れてるし、ライブも凄くいい状態なんで、ここが節目なんだったら、みんなで楽しみたいってだけだね。

EVENT INFORMATION

THA BLUE HERB|結成20周年もあくまで通過点 今日もどこかで音楽を鳴らす

『THA BLUE HARB 20周年記念ライブ』

日程:2017年10月29日(日)
場所:日比谷野外大音楽堂
時間:開場15時半 / 開演17時
料金:前売5000円
出演:THA BLUE HARB

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