HAROSHI|“B.A.D(BUILD & DESTROY)” 既存の存在から生まれるまったく新しい創造

HAROSHI|“B.A.D(BUILD & DESTROY)” 既存の存在から生まれるまったく新しい創造

interview by CHINATSU MIYOSHI photo by UG

スケートデッキの廃材を使った彫刻作品で、NYを中心に活動するアーティストHAROSHI氏。偶然か必然か、自身の生活のすぐ側にある素材に着目し、創造する彼の作品は美しく、生々しく、そして挑発的でもある。彼の作品を見ていると、リサイクルとは単に自然環境保護の為などではなく、役割を終えた既存の万物に再び存在意義を宿してあげることなのではないかと気付く。

 

 

HDM:HAROSHIさんはアーティストですが、CHOPPERさんと一緒にIOC(国際オリンピック委員会)が作成する新競技“スケートボード”のイメ−ジ動画に選出されてますね。

HAROSHI:僕、めちゃめちゃスケボーしていたんですよ、とは言ってもプロでもなく、ただの一般のスケーターです。スケーターとしてというよりも、モノを作っているという背景があるから、IOCから話がきたんじゃないかな。外国の人に日本人スケーターで知っている名前をあげてもらった中で、今回は僕とチョッパーさんが選ばれたということなんじゃないですかね。だって、日本人へのヒアリングだとこの2人の名前は確実に出ないだろうから、「IOCやっちゃったね」って話してたんですよ(笑)。「とんでもないことをしちゃったね」って。

 

HDM:でもそれって、クリエイティブな分野で海外での知名度があるという証明でもありますよね。どういうキッカケでモノ作りを始めることに?

HAROSHI:子供の頃は病弱でずっと入院していたんです。スポーツなんて本気でできる状態じゃなかったから、「そういう状態での自分をアピールする術はなんだろう?」ってきっと考えてて、夏休みの宿題の工作をすっごく本気でやっていたんです。うちのおじいさんがモノ作りに関して腕とアイデアにたけた人で、必要なものはたいがい自分で作っちゃうような人だったんです。それで毎年おじいさんと一緒に「今年の夏は何を作るか」って。キッカケと言うと、たぶんそこから始まっているんじゃないかな。

 

 

HDM:その頃から、平面ではなく、立体を?

HAROSHI:立体だけとかいう意識はなくて。取りあえず、ずっと何かを作るか直すかしていましたね。ゴミの日なんか、集積場に行っていい素材があったら拾ってきて直してみるとか(笑)。そういうことばかりをおもしろがってやっていたから、「これを作りたい」とか、ましてや彫刻なんて、そういう具体的なことは無かったですね。

 

HDM:HAROSHIさんの作品は、スケボーデッキの廃材を使っているという部分が特に注視されるところだと思いますが、既存のものを使うという意識はそのときからそうだったんですね。

HAROSHI:そんな大それたことなんかじゃなく、単純にタダで落ちているものを使っていただけなんですけどね(笑)。こんなこと言うとあれですけど、“リサイクル精神”とか、そういったことではなくて。

 

HDM:そうなんですね?

HAROSHI:昔、彫金の仕事をやっていたんですが、それが凄く忙しい現場だったんです。「量産」という同じものを延々と作り続けないといけない世界で、少しでも“違い”があると検品で落とされてしまったりするんです。僕はそこに疑問を感じていて。「全部が違うからカッコいいのに、どうしてダメなんだ?」と。同じものを沢山作るというのは、まるで機械のようだと思ったんですね。そう感じ始めたとき、自分で何かを作らないといけない。じゃあどうするかってことで、今度は自分で木を使ったアクセサリーを作り始めたんです。

 

 

HDM:どうして素材として木を選んだのですか?

HAROSHI:木って、木目もひとつひとつが違っているし、同じものはふたつとできないじゃないですか。それがいいなと思って。でも、良い木は高いし、当時はお金が無かったから、再びどうするかなって考えていたときに奥さんから「これでやれば?」と言われたのが、山積みになっていた僕のスケボーデッキだったんです。それで「あ、これだ」と思って。そこからデッキを使ったアクセサリーを作っていたんですけど、到底生活が賄えるほどの収入にはならなくて(笑)。それでまた「どうしよう?」と考えていたときに、当時作っていたアクセサリーの陳列に添えるポップとして、デッキで作った壁掛けの作品や立体作品を作ってみたんです。そうしたら、そっちの方が好評を得て(笑)。それで調子に乗って作り続けていたら、あるときに「これで個展をやらないか?」という展開になったんです。それで…気付いたらアーティストとして認識されるようになって、今に至ると。

 

HDM:当時は二次的な創作物だったなんて(笑)。1番最初に作った造型は何だったんですか?

HAROSHI:髑髏(ドクロ)でしたね。もうね、はるかにヘタクソな代物ですけど(笑)。技術が無かったから歯もうまく彫れていないんだけど。それからコツコツやって、技術力があがっていった感じですね。

 

HDM:今はアメリカが活動の大半ですよね。

HAROSHI:そうですね。2011年くらいにニューヨークのギャラリーに所属することになったんです。

 

 

HDM:どういう展開で?

HAROSHI:2010年に青山で個展をしたんですけど、そこに来ていたカメラマンが僕の作品を写真に撮って海外のメディアにアップしたことで、びっくりするくらい反響があって。そこから色々なコミッションからお話をいただくようになって。ナイキのダンクを作らせてもらったり…なんか、そこから本当に一気に状況が発展しだしたので、初めて「これでご飯が食べていけるのかも知れない」って確信が持てるようになったというか。

 

HDM:生業とアーティストとしての創作が一致するかも知れないと。

HAROSHI:それまではね、作品なんてそんなに売れないから沢山ストックがあったんです。もう、捨てないといけないなって考えていたくらいなのに、それをキッカケに全部売れてしまって。それまでの僕は、本当に自活していくことが難しい状況だったから「どうしたら有名になれるのか」ということについて真剣に悩んでいました。Barry McGeeやMark Gonzales…彼らのようになるには何が足りないのか。そう考えたときにふと「日本でやっていると、いつまでたっても道は開けないんじゃないか」と思ったんです。やっぱり本場で認められないと、本物にはなれないと。それで、どこで動くべきかと自分でギャラリーをディグっていたときに、『Jonathan Levine Gallery』という当時ローブロウやストリートでは世界一有名なギャラリーがあったんです。INVADERとかWKなんかも所属していて。「自分もそこでやりたい」と思ってから1年くらい、そこかしこで「俺もJonathan Levineで個展をやりたいんだよ」って言い続けていたんです(笑)。そうしたら、作品を買ってくれた人に「ジョナサンと知り合いだよ」という方がいて。「もうすぐアートフェアで向こうに行くから、君の作品を見せてこようか」と言ってくれて。そうしたらジョナサンから「是非うちで個展をやりたい」と。その個展が凄く上手くいってギャラリー所属になってから、Jonathan Levine galleryを起点に活動するという展開になりました。

 

 

HDM:とっても引力が強いですよね!

HAROSHI:引き強くないですよ(笑)。だって、ここまで10数年かかってるんですよ。むしろ何の引きもないでしょ(笑)。もうずっと待ってたんですよ。糸を垂らしてからずーっと(笑)。それまでにも任天堂でマリオとコラボしたり、自分的に「これは話題になるんじゃないか?」と踏んでいたにも関わらず、マジで話題にもならないなんてことザラにあったんですよ。その頃にはもう絶望してましたね(笑)。

 

HDM:いや…こういうのは単純にスピードだけの話じゃないですよ。

HAROSHI:そうだけど(笑)。そもそもスケボーカルチャーから派生したアーティストというのは、まずスケーターとして有名になってからのアーティストというバリューになるのが大正解だと思っていたから。Mark Gonzalesもスケーターとして世界中に名を馳せていたし、だから彼のアートはカッコ良いと思えるわけで。…何て言うのかな、要はタレントグッズなんですよ。こんなふうに言っては悪いけど。僕もLance Mountainとか、有名スケーターであるアーティストの作品コレクターでもあるから、そこは理解できるんです。そう考えると、スケボーをやってはいたけど誰にも知られることのないスケーターが、そういうレジェンドクラスのスケーターアーティストに勝つのは相当なことだと、早い段階で気付いてはいました(笑)。まあ…スケーターとして有名にはなれなかったからこんなことをやっているんですけど(笑)。

 

HDM:アーティスト一本として、ストリートアートの世界に入ってやると。

HAROSHI:でもアーティスト一本で目指そうと思ったら、今度は芸大出のヤツらと闘わないといけないし(笑)。芸大なんて、才能に加えて最高の教育を受けたヤツらが年間どれだけ輩出されていることか。そんな環境にスケボーもモノ作りもド素人の僕が参入するって…無謀ですよね(笑)。

 

 

HDM:それなら、HAROSHIさんはスケーターアートカルチャーの通例を越えた前例を作ったってことですよ。

HAROSHI:手前味噌になるかも知れないですけど、結構稀なケースなんじゃないかという気はします。これは僕の認識だけれど、ストリートカルチャーというものは「何も持っていないヤツらが、何もない状態から、何をどう生み出すか」という世界だと思うんです。それこそ、竹ヤリだけでどう戦うかっていうような(笑)。でも、その戦い方が凄くクリエイティブであることが評価されている。「才能や経済力、教育といったようなものすべてを予め持ち合わせているヤツが作るものなんて絶対に退屈でしょう?」という精神性があると思っていて。

 

HDM:DIY精神ですね。無の中にある可能性を探すことから始めていく精神性というか。

HAROSHI:あくまでもこれは、本来はそうであるべきだというひとつの考え方であるし、実際にストリートで活動されている人の中にも有名なアートスクール出身の方もいるので、最近では一概に「ストリートアートはラディカルであるべき」というのは、ある意味では古い考え方なんですけど、そういう精神性がエネルギーとして確実にあるものだと思うから。無いところから生み出す力というか。そういう力を身に付けることに、自分自身も凄く悩んだ時期がありました。

 

 

HDM:日本の土壌は…特にストリートアートの世界では、「海外で認められて初めて受け入れられる」というような流れを感じますね。

HAROSHI:いつも思うことですけど、やっぱり日本で認められるに越したことはないんですよね。だってやっぱり日本人に認めてもらえたら嬉しいし、日本にマーケットがある人に対して「羨ましいな」って思いますよ。だけどそれが無い以上は…特にストリートに関しては向こう(海外)に行くしかないでしょうって感じで。でも海外のマーケットで扱われるようにならないと、世界的に認知されるのは難しいわけであるから、やっぱりどこかのタイミングでみんな出て行かなきゃいけないよねとは思いますよね。個人的には、NYのギャラリーに所属したことよりも、berricsというLAで行われるスケートの大会のトロフィーを6年間作り続けていることの方が、よりスケーターの世界で有名になるキッカケになったと思いますね。

 

HDM:アーティストになることだけを渇望していたストイックさが素敵ですね。

HAROSHI:自分じゃなくてもいいような仕事や作業をこなすだけの環境にずっといると、存在意義が無くなってしまうじゃないですか。「アーティスト」て、なんか笑っちゃいませんか(笑)?「何してんの?」「俺?アーティスト」って…なんかちょっと腹立つっていうか(笑)、社会性をもってすると「こいつはバカなのか?」とか「どんだけ調子こいてんだ」って思われるような可能性が存分にある職業じゃないですか(笑)。昔は自分もそこに抵抗があったから、「自分は職人」として振る舞っていたんですけど、海外で個展をすると、ものを作って発表している時点で、自己申告が職人だろうが何だろうが「アーティスト」として認識されるんですよね。そもそも自分の名前で個展を開催しているということは、作品に対しての“責任”というか、作り手の“プライド”とか概念がそこに必要であるとも思うし。そう考えるようになってから、自分は職人でありアーティストであるという意識に変わっていきましたね。…うん、アーティストと言ってもいいのかなって。それがようやく恥ずかしくなくなってきた感じですかね。「僕がどう存在しているのか」というのも、作品に付随する大切な価値であると思うし、僕が半端だと作品を買ってくれた方に失礼ですよね。

 

EVENT INFORMATION

HAROSHI『RISE AVOBE』SOLO SHOW
期間:10月6日(金)~10月29日(日)
場所:Stolen Space Gallery(LONDON)

HAROSHI 『GUZO』SOLO SHOW
期間:10月10日(火)~11月12日(日)
場所:Arsham-Fieg Gallery(NY)

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