窪塚洋介|コドナの言葉
俳優として台詞を、レゲエDeeJayとしてリリックを、そして自分自身として文字を、窪塚洋介という未知数の多面性を持つ男のかたわらには、常に強い“言葉”の存在がある。子どもとおとなを併せ持つ、“コドナ”という生きざまを通して、彼がこれまでに経験してきたこと、そして人生における確固たる哲学が、ごまかしのない言葉としてすべて晒されている。少しシニカルな比喩を用いて言うなら、あのとき、彼は“落下”したのではなく、“助走”に入ったのだ。地面から離れた、もっと高く見晴らしの良いどこかへと“飛ぶ”ために。
HDM:今作の『コドナの言葉』は、いままで出してきた著書とはまた少し違うテイストだね。
窪塚洋介:そう。いままでは自分で執筆したものだったんだけど、今回はインタビュー集っていうか、自分自身についての一問一答を集めたもので。自分発信で言いたいことっていうよりも、第三者が俺に聞きたいことを聞いたっていう。結構とっ散らかっているようなところもあるんだけど、ざっくばらんな会話を隣で聞いているように読んでもらえたらなって。
HDM:「コドナ」という名称は、洋介くんから何度も聞いたことがあるよ。
窪塚洋介:これはね、俺はBOY-KENちゃんがよく言ってたのを聞いていて“コドモ”と“オトナ”を併せ持つ者ってなんかいいなあって思ったから、ケンちゃんに「それ、俺も使っていいですか?」って、そこから。でもこの名称、自分のまわりにいた湘南の人たちにはわりと浸透したものだったんだよね。一番最初に誰が言い出したのかまではわかんないんだけど。
HDM:“コドモ”と“オトナ”の両面を持っている自覚がある人達がたくさんいたんだね。
窪塚洋介:そうなんだろうね。もうね、自分の周辺は“コドナ”だらけだよね(笑)。類は友を呼ぶっていうかね。でもちょっとびっくりしたことが最近あったんだけど、このあいだ中国に行ったときに取材を受けたメディアの名前が「チャイダルティ」だったんだよね。“チャイルド”と“アダルト”を合わせた造語なんだけど、「それ、コドナじゃん!」って(笑)。
HDM:「アダルトチルドレン」と近いニュアンスも感じるけど、これはあまりいい意味では使われないもんね。ピーターパンシンドロームとか。
窪塚洋介:でもそういうことだよね。おとなになれないのか、意志を持っておとなになることを拒否しているのかは人それぞれなんだろうけど、そういうガキの部分をずっと持ち続けているっていう人は多いと思うよ。
HDM:でもおとなって何を持っている人がそうなんだろうね。おとなの絶対条件っていうか。…経済力とか?
窪塚洋介:それも含めての社会性とか。仕事して税金払って、家族や部下養って…そういう責任、立場とか役割をこなせるってこととか。でもそういうおとながよく吐いてしまう台詞でさ、「もっとちゃんと現実見なさいよ」っていうのがあるじゃん。これって言われたくも言いたくもないんだよね。何かを諦めたり、諦めさせるために使う常套句みたいだから。生き方なんて人の自由だから好きにしたらいいんだけど、「現実を見ろよ」って、見たかったらお前だけ見ときゃいいじゃん!ってなるよね(笑)。そういう、自分の中にある絶対的な価値観を押し付けるのはやだよね。他人を悲しませてまでやりたい放題やれって、そういうこと言ってるんじゃないよ。てめえの人生の指針くらい自分で決めろよって。この人生で、自分が何を信じ見ていくかなんてことくらい。
HDM:そこの判断は、コドナの“コドモ”の部分が助けてくれそうだよね
窪塚洋介:うん。本能とか、純粋に見れる目。自分は何が欲しいのか、何が嫌なのか。人生を支える指針。だから、ギャグみたいな造語に見えるかも知れないんだけど、俺にとっては凄く強い言葉。