北朝鮮をロックした日|世界一クレイジーなバンド 世界一閉ざされた国に現る

interview by CHINATSU MIYOSHI ©VFS FILMS / TRAAVIK.INFO 2016

 

この映画を紹介するにはまずそう、この映画は果たして“コメディなのか“社会派ドキュメンタリームービーなのかわからない、という部分なのかも知れない(本人たちはコメディのつもりは毛頭ないだろうけど)。もしもコメディだとするとかなりブラックユーモアが過ぎるが、かと言って始終シリアスな顔をして見るようなモノでは決してないような気もするのだ。ただ、異質なもの同士が接触したときに起こる反応や連鎖がどのように展開していくのか、それをテレビのニュースなどといった一部の“煽る性質のメディアとはまったく違った視点で見せてくれる。

 

 

北朝鮮が初めて欧米のロックバンドを招待するらしい!

 

北朝鮮では毎年、日本の植民地時代からの解放を祝う『祖国解放記念日(リベレーション・デイ)』が執り行われる。文字通り国をあげての祝いの祭典なのだが、その年の記念コンサートに、欧米からのロックバンドのライブを行うという前例の無い計画を打ち出したのだ。一見友好的に思えなくもない突然の招致に「なんで?」と思ったのはもちろん欧米側だったわけで、この前代未聞の行動の意図を探ろうと、欧米の各メディアがおもしろおかしく、ときどきはまじめにこのニュースを取り上げたのだった。もしも招致されたのが、例えばU2やローリング・ストーンズであればまだ理解の範疇なのであるが「え、なんで?」と疑問を抱かせた最大の理由は、北朝鮮が選んだバンドにあった。

 

 

スロベニアの“ネオナチバンド、北朝鮮に行く!

 

かの国からの「熱烈歓迎!」を申し受けたのは、スロベニア出身のバンド、ライバッハだった。このライバッハというバンドについては、もはやそのヴィジュアルからすでに「大衆性」や「国民的」というワードは否応無しに排除されることだろうと思う。実際、その常軌を逸したパフォーマンスや過激な発言は(見方によっては前衛芸術と言えなくもない)当然のごとく批判や否定の対象になり、ロシアからは「国家を馬鹿にした」と怒りをかって入国禁止を言い渡されるなど、独自の思想をスタイルをつらぬくサイケデリックな人間の集合体だ。単純なパンクのほうがまだ仲良くできる気がする、と言った具合に。

 

どういった経緯で彼らの存在を知り、そして「我が国の式典でライブを!」となったのかは不明だが、ライバッハの“まるで独裁的に見えるパフォーマンススタイルが、おそらく「これならうちの国の思想方針にしっくりくるわ」と感じたことは容易に想像がつく。ライバッハもこの国が如何なる理由で世界から疎外されているのかを知ってはいるが、そのオファーを快く、かどうかはさておき、受けたのだった。「国の体制や状況で態度を変えるなら、こんな全体主義の国で公演なんてしない。線引きなんてできないだろう?どの国で公演すれば道徳的かなんて。この国はたしかに全体主義の国だが、批判はしない」との意志を示して。北朝鮮側からすると、彼らのライブが、思想が、音楽が、祖国の国民の誉れと士気を必ずや高めてくれるであろうことを想像して。だが実際は

 

 

強いられる、強調より協調!

 

いざ北朝鮮の地に降り立ったライバッハは、この件を担当する北朝鮮サイドの要人らから笑顔で歓迎を受ける。だが、歓迎の晩餐の席でこれまでにさまざまなメディアがライバッハに向けて書いた否定的な記事を(わざわざ)すべて調べあげ、朗読した挙げ句に「君たちを信じている」と意味深な台詞で釘をさしてみたり、「映像と音楽を同時に見ることはできない」「裸の映像が多すぎる」など、彼らのパフォーマンスに対してことごとく「使うな」「やるな」「消せ」などの高圧的な注文をつけてくる。最高峰の格式ある芸術劇場でありながら、1950年代程度の設備しか持ち合わせていない現場での設営シーンなどは、冒頭で記した“コメディそのものだ。設営が進むにつれ、北朝鮮側の「バンドのライブってこんなに面倒なのかよ」という嫌気と、ライバッハ側の「なんで俺らを呼んだん?」という呆れで、ライブ前から全体の空気は緊張というよりシラけムードが充満する始末。もはや敬意ではなく、腫れ物にさわらぬような態度になってくるのも仕方がない。多くの国がこの国に対してそうしているように。なにせ、ホテルに聖書を置いただけで拘束してくるような国なのだ。

 

しかしながら、この映画の最たる魅力は「北朝鮮」という世界一隔離された国に対する新たな視点をこちらに与えてくれたことだ。民衆を犠牲にし、軍事力を強調するだけの国かと言えば、そうでもない。思想が違い、文化水準が違う。居る場所によって、人によって信じているものが違うという当然の結果がここにあるだけのような気がしてくるのだ。個人の生活があり、あくびもすれば暇を持て余してダラダラと携帯もいじる。少なくとも暮らしや文化レベルなど、国内で完結できている事柄に関しては「もうそれでいいんじゃないか」と思えるのだ。ライバッハのリーダー、イヴァンはこう語っていた。「実際に来てわかったのは、実際はアタマで想像していたのとは違っていたということ。どんな壁にも魂が入り込む隙間がある。問題は。その隙間を広げるべきか否かだ。少なくとも、彼らは幸せそうに見える」。そして、こうも言った。「共産主義国はこれまでにもいろいろ見てきたが、北朝鮮はおそらくこれが最善かどうかは別として、最も成功した例だ。当然裏もあるが、表に見えるのは実際に機能しているように見えるユートピアなんだ」。

 

 

邦題にあるように、最終的に彼らがこの国を“ロックできたのかどうかについては本編を観て確かめてほしいのだが、個人的に印象的だったシーンをひとつ記しておきたい。

 

ライブの設営で、ライバッハのパフォーマンスに対する注文(イチャモン)があまりに度を超していたことにキレたイヴァンがついに、それまで従順におさめていた態度を一変させた。そしてこう言い放った。「人の仕事に口を挟むのなら、まず挨拶が先だ。少なくとも、それが俺たちの国のマナーだ」。語気を強められたことで、それまでの北朝鮮側からの一方的なダメ出しではなく、ようやく話し合いのテーブルが用意されたのだ。これは数分の短いシーンではあるが、このやりとり“あの2人もやっていたよね?

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北朝鮮をロックした日|世界一クレイジーなバンド 世界一閉ざされた国に現る

北朝鮮が初めて欧米のロックバンドを招待するらしい!そんな信じ難いニュースに世界中のマスコミが沸き立った。その記念すべきバンドは、スロベニア出身のライバッハ。彼らは個性的過ぎるパフォーマンスのおかげでネオナチと批判されたり、かと思えば、ロシアから「国歌を馬鹿にした」と出入り禁止を言い渡されたりと、何かとスキャンダラスなバンドだ。そんなバンドと北朝鮮を引き合わせる仲人役を務めるのは、本作の監督モルテン・トローヴィク。モルテンとライバッハは総勢30名ものスタッフを引き連れて北朝鮮へと向かう。

頭巾がトレードマークのメインボーカル、ミラン・フラス、美貌の女性ボーカル、ミーナ・シュピラル、リーダー的存在のイヴァン・ノヴァックを始めとするライバッハ一行を北朝鮮側で待ち受けていたのは、予想を越える厳しい監視体制だった。着いた初日から空港でコンサート用のデータを没収され、北朝鮮政府が世界中から集めたライバッハに対する厳しい批評記事を読み上げられる。コンサート会場は北朝鮮でもっとも格式ある烽火芸術劇場と決まったものの、いざ作業を始めると会場のスタッフと話が噛み合わず、メンバーのイライラは増すばかり。常に誰かに監視されているようで、ライバッハはもちろん、北朝鮮のコーディネーター、リさんも気が休まる暇がなかった。

それでも、ライバッハは何とかコンサートを成功させようと、ミーナがチマチョゴリを着て北朝鮮の最新ヒット曲“行こう白頭山へ”や国民的民謡“アリラン”のカバーを歌うアイデアを思いつき、平壌のクム・ソン音楽学校からやってきた少女達とリハーサルに励んだ。彼女達の歌声を聴いて「こんな美しい歌声は聴いたことがない!」と感動するメンバー。また、一人歩きは厳禁!と言われているにも関わらず、ホテルを抜け出して町を散策したイヴァンは「ここはユートピアだ」と呟く。彼らは、これまで自分達が北朝鮮に対して抱いていたイメージとの違いに驚いていた。

しかし、コンサートをめぐる厳しい現実は相変わらない。公演日の2日前になって、北朝鮮の検閲官からコンサートで使う映像に細かくダメ出しをされて、映像スタッフは突貫工事で映像を修正することに。曲に対しても検閲は厳しく、“行こう白頭山へ”のカバーではミランのパートの歌い方が不評で、「観客が怒り出すかもしれない」と忠告されてしまう。タイムリミットが刻々と迫るなか、なかなか許可がおりないために演奏できる曲はどんどん少なくなり、解決すべき問題は山積み。さらに韓国と北朝鮮の間で重大事件が発生する。果たしてライバッハは無事ステージに立つことができるのか…

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