孫GONG|立ち上がるために音楽を手にした男の軌(奇)跡

孫GONG|立ち上がるために音楽を手にした男の軌(奇)跡

intervie by HIROYUKI ICHINOKI photo by MASATO UEDA

驚くようなエピソードもありのまま話す孫GONGの裏のなさは、ヤクザの組長だった父親のもと育ったという家庭環境とともに、(自分の知るかぎり)ラッパーとしてちょっとほかに類を見ない。聞く者を威圧するよりどこか人懐っこいそれは、『ニートtokyo』での一連の発言でも話題をさらったばかりだが、ただそれも彼に言わせれば「俺のまわりはあんぐらい全員しゃべる」とのこと。背筋が伸びるような未来を語る一方で、ゾッとする過去もあっけらかんと笑って彼が口にするのも、くぐり抜けてきたからこそ。何をするにも“正しさ”が求められるこの時代に、その姿はある種痛快でもあるわけだけど、音楽が人を立ち上がらせるためにあるということも改めて思わせる。「当たり障りありまくる音楽をこの先もずーっとやりたい」との発言もしかりの、当たり障りありまくりのインタビュー。アルバム『狂都』を出したばかりの彼に、東京で話を聞いた。

 

 

HDM:出身は京都の山科ですよね?

孫GONG:もともとは伏見の棒鼻で生まれてそっから桃山に移動して、山科っすね。

 

HDM:まわりの環境はどうだったんですか?

孫GONG:伏見の棒鼻では誰もが俺ん家はヤクザって知ってる感じで、けっこう1人ぼっちだったすね。小学校の入学んときに保育園まで仲良かったヤツら15人ぐらいに呼ばれて、「今日から親が遊んだらアカン言うてる」って。

 

HDM:その話は『狂都』に入ってる『ありがとう』でも歌われてて。

孫GONG:そうそう。そっから暴力に走ってもうて。初めは泣いたりしとったんですけど、お前らそうすんのやったらみたいな。ほんで余計孤立して、小学校5年生ぐらいになったら、みんなちょっと不良になって、逆に手の平返したまわりのヤツらがついてきて。

 

HDM:小学生にしてそういう感じだったんですね。

孫GONG:俺、小学校(のころ)がたぶん一番悪かったんすよ。団地燃やしたり、車燃やしたりしとって。

 

HDM:えー。

孫GONG:で、京都の教育委員会から「2週間ケンカしいひんかったら賞状出します」みたいに言われて。

 

HDM:いきなりですか。しかも賞状って。

孫GONG:卒アルに載ってる小学校のヤツら全員殴ってるんですよ、俺は。ほんでケンカせえへんように小学生が喜びそうな賞状でつられたんすけど、1枚ももらえず。

 

HDM:ははは。そのころ、家の中はどうだったんですか?

孫GONG:兄貴は刑務所やって、親父は浮気相手おって、それこそマラドーナとも仕事してたし、そのころキャビア密輸して売ろうとしとって、北朝鮮とか韓国とかロシアとか海外の仕事が多かったもんで、けっこうおらんくて。おかんとおじいちゃんとおばあちゃんと住んでたっすね。

 

HDM:じゃあお父さんとはそう顔合わせることもなく。

孫GONG:親父はまあ1、2週間に1回帰ってくるみたいな。んで、小1ぐらいのときに「ちょっとフランス行ってくる」言われて、帰ってきたんが小5ぐらいで。要するにパクられてんのを内緒にしてたんすけど。「おとんいつ帰ってくんのかな」っておかんに聞きまくっても、「いい子にしてたら帰ってくるわ」みたいな定番のノリで。で、ある日寝てたら実家の電話鳴って、普段取らないのにたまたま取ったら親父やって、号泣したみたいな。

 

HDM:家族で山科に引っ越すのはそのあとですか。

孫GONG:小6の卒業式ぐらいに親父に「引っ越しするぞ。どこがええ?」って言われたんすけど、そんとき野球やっとって山科のチーム入っとったから、そこに家買ってくれて住み始めたみたいな感じで。

 

HDM:基本的に家族の関係は良かったんですね。

孫GONG:めちゃめちゃ仲いいっすよ。おかんは厳しい人やし、昔はラップも適当にやっとったんで、「ちゃんとせえ」みたいな感じでよく怒られてたんすけど、おとんとはもうほんまに会えなかったから、会えることが嬉しくて。で、ちょっとおとんも落ち着いてきたなあぐらいのときにガンで死んだんで、中3んときに。だから関係が悪化するとか良くなるってよりはもう、ひとつのアトラクションみたいな、「今日おとんと会えるんや!」って感覚だったっすね。

 

HDM:ただ、両親はともかくお兄さんからけっこう暴力受けたって話を『ニートtokyo』でされてましたよね。

孫GONG:15歳離れてるんすけど、小4ぐらいで普通にボコボコいかれとったんで、そっから誰に殴られてもあんま痛く感じなくなったみたいな。けっこうムチャクチャやったっすね、兄貴は。いろんなドラッグやってたと思うんすけど、シンナーに一番ハマとって、まあ出たり入ったり、人生の半分以上刑務所おる人なんで。

 

HDM:ご自身の中学時代はどうでした?

孫GONG:俺の中学校メチャクチャ悪くて。いつも正門に20人ぐらい先輩たまってたんですけど、みんなごついんですよ。んで、シンナー吸いながら、茶髪やったり調子乗ってそうな新入生ボコボコにするみたいな。それで、やばーって思いながらも、なんかされたら俺も暴れたろって思ってたら、親父がたまたまロールスロイスで迎えに来て「帰るぞ」みたいな。それで帰ったら次の日、先輩が「お前ん家なんやねん!?凄いやん!」みたいなって、みんな仲良くしてくれて。それからその先輩たちにいろいろ教えてもらったっすね。

 

HDM:ご自身が鑑別所に入ったのもそのころ?

孫GONG:そうっす。警官しばいてもうて。15、16歳とかだったっすかね。そのあとも傷害とかで罰金はようあるんすけど、まだ運よく捕まってないですよね。やっぱり兄貴も見とるし、ブレーキかかるようになりましたよ。ここまでやったらアカンねやとか。

 

HDM:ドラッグを始めたのも同じころですか?お兄さんの影響とかあったり?

孫GONG:いや、薬物は地元の先輩の影響で。けっこう俺の街はジャンキーが多いんすけど、「お前ん家、買えるんちゃう?」みたいな話から、親父の組の下っ端の人に電話してみたら親父に内緒で売ってくれるようなって、そっから15、16歳ですでにどっぷりドラッグにハマって、自然と売人するようになって。

 

HDM:そのあたりの話も曲にありましたね。

孫GONG:ほんま自然とディーラーになったっていうか、売ることに抵抗もなかったし、常に一流のドラッグが安い値段で組にあったんで、そうなるじゃないですか(笑)。ほかの街は知らないけど、その当時の年齢でってなったら持ってる量も質もズバ抜けてたんで、「俺ら最強ちゃうん?」思ってましたけど。俺はもう堂々と「ドラッグでのし上がったんで」って言うてましたし。

RELEASE INFORMATION

孫GONG|立ち上がるために音楽を手にした男の軌(奇)跡

孫GONG / 狂都
YINGYANG PRODUCTION
YYP-023
2500円(税込)
2018年6月27日発売

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