NORIKIYO|馬鹿と鋏と〇〇と
明確なコンセプトのもと、1本の映画を作り上げるがごとくアルバムを作ってきたNORIKIYO。新作『馬鹿と鋏と』でも、そのスタイルに変わりはない。ときには社会に、またあるときはヒップホップに遠慮ない言葉を向けようとも、それはニヒリズムに動かされたものに非ず、憂う気持ちのぶんだけリリックとなったものだ。そしてそれは彼にしてみれば、キャリアを重ねたからこそ発せるものでもある。9割方の曲が書けているという次なる新作は、内容もより辛辣に、平成が終わる前にはリリースしたいとのこと。制作面でもますます精力的な彼に聞いた。
HDM:唐突だけど最近どうすか?
NORIKIYO:楽しいっすよ。曲書いてるときが一番楽しいから、ビート探してそれ流しながらなんかいい曲かけねえかなあみたいな。
HDM:曲作りのスランプもない?
NORIKIYO:ありますよ。でもスランプとは言わないのかもしんないですね、もはや。どんなときでも曲に直結するようなキッカケはあって、自分のアンテナが凄いきれいだったら、けっこう何でもキャッチできると思うんすよ。そのアンテナが掃除できてなかったら沼にハマるっていうか。だから着想するまでは時間かかるときもあるけど、そのうだうだ悩んでる時間があったからこそ、この4小節が書けたんだみたいなことあるし、そこにはそのぶんの時間の価値があるから。
HDM:じゃあ曲のアイデアが生まれるまでのとっかかりはどういうところに?
NORIKIYO:いや、何もないすよ。ただトラックを聴いて、フリースタイルみたいにパっと出てきたフロウに言葉をハメてラップしてくみたいな。トラックの感じにも左右されますが、セラピーみたいなもんで、曲書くと今日俺が何を思ってたかだいたいわかるじゃないですか。こういうテンションだったんだって。それが人のディスだったときとかは「ヤベエな、チャリンコマシーン乗って汗でもかこうかな」ってなったり(笑)。
HDM:逆にアイディアありきで曲を作ることは?
NORIKIYO:そういうときもあります。フックが先に思いつくときもあるし、曲のオチが思いつくときもあるし、16(小節)いい感じのできてフックどうしようかってなったときは、たぶん寝るときも意識がそっちにいってるんすね。で、これマジでたまにあ るんですけど、起きたらフックできてるみたいな。それができたら2バース目に何を書くべきかわかるんで、そのために言葉を紡いでいくっていう。
HDM:じゃあ常にラップのことが頭の片隅にある。
NORIKIYO:あるっていうか、クセみたいなもんで、何かおもしろいネタはないかなって探してるかもしんないですね。例えば友達と飲んで遊んでるときでも、頭の100あるCPUのうち80は目の前のことに使ってるけど、残りの20パーセントぐらいでなんかこれでおもしろいこと書けねえかなみたいな。
HDM:曲のネタはどこにでも転がってると。
NORIKIYO:そうですね。家とか営業先でとりあえずなんかしらトラック聴いて16書くとか、トラックないときはいいライミングないかなあとか。あんまそういうの使わないんすけどね、メモに残したものっていうのは。でも、曲を書いてるときに、これ先週ぐらいにこういうところあったなあって振り返って見てみて、「あ、このライン使えるな」みたいのはあるっすね。だからボツ曲を書くっていうのは俺にとって凄い意味があることで。
HDM:ボツ曲がいわば習作のような。
NORIKIYO:デッサンみたいなもんなのかもしんないです。色づけしてるわけじゃないけど、ぼんやりと書いてるっていうか。それで月曜日に描いた絵と水曜日の絵の構成が似てるから、これ一緒にやったらこういう構図でおもしろいかもみたいな。