SANABAGUN.|バンドと言うよりもカルチャーを象徴する存在(HARDEST MAGAZINE 2018年4月発刊号掲載)
「レペゼンゆとり教育」をスローガンに、現代のシーンを担う次世代のアイコンとなったSANABAGUN.。ジャズ、ヒップホップ、歌謡など、多彩なジャンルを巧みに操る…カッコよく言うと“クロスオーバー”な音が彼らの武器だ。路上ライブ時代には常に渋谷ハチ公前をカオス化させるほどの実力とエンターテイメントの才能を見せつけてきた。そしてその存在感は、現代の日本のメジャーシーンにおいても独特の浮力を保ったまま、新しいカルチャーの潮流を生み出そうとしている。
HDM:初めてSANABAGUN.のライブを見たときに「次世代のアーティストが出てきた」というよりは、純粋に「やっとカッコいいバンドが出てきた」と思った。スタイリッシュで色っぽいし、何て言うか…存在の仕方が大衆的でないところが凄く魅力的です。
岩間俊樹:ありがとうございます。僕らは音楽を中心にやっているんだけど、メンバーはみんな音楽以外の才能も持っている個性的なキャラクターの集まりで。SANABAGUN.はバンドというよりも、カルチャーを象徴する存在であろうとしているのかも知れないですね。“大衆性”ってうのは、大きく言うと国民的な存在になる、広く認知されていることがそうだと言えると思うんですけど、僕たちもたくさんの人に認知されて、愛着を感じてもらえる存在になりたいという点では、ある意味、僕らならではの大衆性を目指しているのかも知れない。
高岩遼:うん。バックボーンで言えば、アンダーグラウンドのヒップホップのカッコ良さももちろん知っているんだけど、本質的に育ったところが2000年代のポピュラーなヒップホップで。だから何て言うか、アンダーグラウンドから派生したものを、エンターテイメントとして成立させることでキッチリ富と名声が得られているスタイル、というものを見ていて。この日本において「エンターテイメントでお金を稼ぐ」ということはどういうことなのか?どうすれば良いのか?という視点はちゃんと持っている。ダサいことはやりたくないけど、メジャーという場所に立ってなおさら(個人的な美学と大衆性の)バランスというものを考える機会は多くなってきたと思う。
HDM:ダサいことって、例えば?
岩間俊樹:その感覚は、たぶんメンバーみんなが一致しているところだと思うんですけど。何がダサいって、単純に「オーディエンスが求めているものだけに寄せる」ことだと思います。
高岩遼:うん。
岩間俊樹:あくまでも自己表現とするなら、自分たちが提示したものを相手にウケさせるのが定義であって、最初から「こういうのが好きでしょ?」って伺いながら持っていくのは違うような気がして。
HDM:SANABAGUN.は、先人がすでに構築した大衆性をなぞるのではなくて、あくまでも自分たちの自己表現が大衆化されるというプロセスの中にいるわけですね。
岩間俊樹:うん、それを目指してやっています。でも、現状のエンターテイメントシーンに自分たちもいることはたしかだから、自分の中に必要な価値基準のひとつとして、本質的には「イケてないな」と思うものでも見聴きするようにはしています。
HDM:反面教師的に?
岩間俊樹:それもあるし、その対象の知識が薄いままで気安くディスできないなっていう(笑)。
HDM:まじめですね(笑)。
岩間俊樹:(笑)。「このあいだのライブで見たあいつらダサかったな」って思ったら、YouTubeで検索してみたりとか(笑)。ダサかったことの本質をちゃんと確認するために、相手のことを知る努力をする。「そもそも名前がダセえなあ」とか(笑)。
高岩遼:そういうのちゃんとチェックするあたり、やっぱりまじめなんだよ(笑)。俺はそういうのはあんまりしないよ、めんどくさいし。
岩間俊樹:まじめじゃないよ(笑)。ただのクセ。でも逆にさ、自分と近い感覚の相手のことはチェックしないよね。自分以外のラッパーのこととか調べないもん。
HDM:どうして?
岩間俊樹:なんて言うか、オリジナリティを保つためにも「あ、わかる」と思いたくないっていうか。同調も感化も避けたいっていう意識が働くのかも。影響されたくないんですよ。それだったら、理解できないものを見て「なに?あれ」って考えているほうがいい(笑)。
HDM:なんだかメチャクチャ言ってるようだけど、よくわかります(笑)。
岩間俊樹:わかります(笑)?ゴッホがほかの画家の絵を見て、その影響で自分の絵を描いていたのか?というような…