MQ|「俺にとってスローアップやタギングこそがグラフィティー」(HARDEST MAGAZINE 2013年10月発刊号掲載)
日本ではMAD BALLなど多くのハードコアバンドが所属することで有名な、ニューヨークを拠点としたギャング集団“DMS CREW”に所属し、アメリカはもちろん、ヨーロッパや日本、世界中いたるところでボムを繰り返す伝説的なグラフィティーライターMQ。今回はSKAMDUSTと大阪へ遊びに来ているところをキャッチし(本人かなり酔っていたが…)インタビューすることができた。
HDM:今さら聞くまでもないけど、自己紹介をお願い。
MQ:俺の名前はMQ。クイーンズはコロナのドミニカンのコミュニティで生まれ育った。今はサンフランシスコ近郊に住んでる。所属クルーはDMS(クイーンズ)、BBB(サンフランシスコ)、246(東京)…。
HDM:初めて描いたのはいつ?
MQ:グラフィティーを初めて描いたのは1980年で、俺がちょうど10歳のとき。家の近所の路地裏にあった大きなレンガの壁にM〇〇〇〇〇(※〇は本名)と自分の名前を描いたのが始まりで、そのときは家の倉庫に転がってた赤と黒の安もののスプレーで描いたんだ。そしたらハマっちゃって、当時はまだ専用のスプレーなんてない時代だったけど、母親にもっとカラフルなスプレーを買ってもらおうと紙にリストを書いておねだりしたけど、高いって一蹴されたよ(笑)。
HDM:なぜグラフィティーを描こうと思ったの?
MQ:俺の家族は(グラフィックや造形など)アーティストが多いんだ。そういうのもあってアートに対して興味がもとからあった。小さいなりにグラフィティーは社会的に悪だとわかっていたから、最初はみんなには黙って続けていたよ。なぜグラフィティーを描こうと思ったのかには大した理由なんてない。生まれたときから身のまわりにヒップホップやグラフィティーがあったから、ただそれだけさ。
HDM:MQっていつから名乗りだしたの?
MQ:MQって名前を使い始めたのは1984年。MQ=MQUE(またはMKUE)は”MANHATTAN QUEENS UP EVERYWHERE”の略。クイーンズ出身の俺がなぜマンハッタンかというと、1982年に実家が火事で燃えて、しばらくの間マンハッタンに住みながら、クイーンズと行き来し生活をしていたことがあるんだ。俺は本当にマンハッタンとクイーンズを今でも愛してるんだ。
HDM:何か当時の出来事おぼえてる?
MQ:そうだな…当時(1985年)、EZEC(SKARHEAD)やHOYA(MADBALL)とは地元のご近所(MQの5歳下)で、彼らとよく一緒に遊んでいたんだ。でもグラフィティーを描きに出ようとしたら、(彼らの)ママにいつも怒られたよ(笑)。だからNOM(SKAMDUSTの兄)とよく一緒にいろんな場所にグラフィティーを描きに出かけて遊んでたんだ。EZECやHOYAとは87年に一緒にDMSへ入ったのをキッカケによく一緒に描きに行くようになった。DMSは”DRUGS MONEY SEX”の略。クレイジーな名前だろ(笑)。DMSはみんなはハードコアのクルーなイメージが強いかもしれないけど、もともとはグラフィティーのクルーとして始まったのが最初で、俺たちが入ってから徐々に大きくなっていったんだ。
HDM:子供のころの夢とかおぼえてる?
MQ:いや、特になかったかな。大きな夢を抱けるような環境ではなかったよ。でも音楽に囲まれた環境で育ったから、ヒップホップとか好きだったよ。SUGARHILL GANGとかね。
HDM:当時の有名なグラフィティーライターって?
MQ:子供のころだからクイーンズの外のことはあまり知らなかったんだけど、(1982年ころ)FUZZONEやFLAMEは俺にとっては有名なライターだったよ。
HDM:日本ではグラフィティーのバイブルとして[WILD STYLE]や[STYLE WARS]をみんな見てるんだけど、そこにでてくるライターは僕たちにとってはポピュラーなんだけど、実際アメリカでもそうだったの?
MQ:[WILD STYLE]は1983年に当時父親と一緒に映画館に見に行ったよ。[STYLE WARS]は1983年に母親とテレビで見た記憶がある。僕はどちらも大好きだけど、両親は(グラフィティーが)嫌いみたい(笑)。もちろんそこにでてるライターはアメリカでももの凄く有名だよ。でも俺自身それに影響されたとか、そういうのはないかな。
HDM:MQのグラフィティーはスローアップやタギングが印象的だけど、そこにこだわる理由って何かあるの?
MQ:一般的にグラフィティーにフレッシュな順番を付けるとしたら、普通はピース→スローアップ・タギング→ステッカー…みたいなのがあるけど、俺がいた環境ではクルー同士のビーフがよくあって、時間をかけてピースを描いてもすぐ上からやられちゃうんだ。それって描くときもそうだけど、やられたときも凄く効率が悪くて、だから俺は自然とスローアップやタギングを重要視するようになった。その価値観は今でも変わっていない。俺にとってはスローアップやタギングこそがグラフィティーなのさ。
HDM:今までグラフィティーをやっててヤバかった出来事ってある?
MQ:俺にとってはライターをやっているからには一歩外に出たらトラブルはつきものだし、それ(外に出ること)自体がヤバい出来事さ(笑)。ビーフも多いからもちろんキミが聞きたがってるようなヤバいことはたくさんあったけど、愚問だね。ただひとつ言えることは、まだ逮捕や収監されるようなことには至ってないかな。
HDM:話が変わるけど好きな食べ物って何?
MQ:好きな食べ物?そうだなあ、基本何でも食べるけど、オーガニックなトマトやサラダにハマってるかな。
HDM:好きな街は?
MQ:もちろんマンハッタンとクイーンズさ。でもそこ以外で言うなら渋谷かな。渋谷、そして日本は大好きだよ。あ、もちろんここ大阪も好きだよ(笑)。
HDM:日本でお気に入りのライターは?
MQ:一番はもちろんQP!そしてWANT、SECTO、GKQも好きだね。
HDM:尊敬する人は?
MQ:人じゃないけどDMS、BBB、246、俺の所属してるクルーのヤツらはみんな尊敬しているよ。だからこそ、そのクルーに入るんだ。
HDM:さっき子供のころの夢を聞いたけど、今の夢って何かある?
MQ:あーしたいとか、こーなりたいとかっていうような夢は今も特に持ってないかな。しいて言えば“STICKER POISON”。世界中のいろんな場所に俺のステッカーをボムしていきたいね。
HDM:ところで好きな女性のタイプは?
MQ:女性?もちろん自分の妻がタイプさ。彼女は美しくて誠実で利口で言うことないね。それ以外は考えられない。…みんなだってそうだろ(笑)?
HDM:(笑)。今日はありがとう!最後に若いライターたちに何かメッセージを!
MQ:BETTER BE BOMBING!