「70、80歳になってもライブ写真を撮り続けてる自分でいたい」写殺カメラマン“青木カズロー”
HDM:カズローはライブ写真を撮り始めた当初から自分の色をちゃんと持ってたように俺は感じてるんやけど、撮影するにあたって心がけてることって何かあったりするの?
青木カズロー:うーん、最初のころはほんともう衝動ですよ。初期衝動。SHOくんはよくわかってると思うけど、僕ってカメラを持っているただのお客さんじゃないですか(笑)。そのテンションでずっと撮ってきたから、逆に今もその感じを身体から抜けないようには意識してますね。衝動でやってきて、これで飯を食うとか仕事とかを意識し始めたり、「写殺」とか言い始めたりしたころにどこか衝動を感じなくなった時期もあったりして、それでも踏ん張って撮り続けて少し形になりだしたころに、当時とはまったく一緒ではないけど似たような衝動を感じることがまた増えてきて。これが自分にとってはきっと大事なものなんだろうなって。その衝動が消えないようにはしたいですね。
HDM:基本となるベースを変えないようにアップデートするっていうのけっこう難しいんやけど、カズローの写真からはそれを感じる。撮ってる被写体も変わってきたし、規模も大きくなってきたけど、写真のどこかにちゃんと初期衝動を感じることができるなって。今のはライブカメラマンとしての質問やったけど、逆にカメラマン・写真家としての信念って何かある?
青木カズロー:それはもう写真を撮ること。撮り続けることですよね。ギタリストがギターを弾かなくなったらもうギタリストじゃないですし、ボーカルがステージに立たなくなったらボーカルじゃないですし、いつしか「ex」がついて消えていかないようにすること。自分が自分に肩書を付けて生きていくってことは、それをやり続けるってことだから、自分はカメラマンという肩書を自分に付けたわけだけら、写真を撮り続けるのはカメラマンをやる以上永遠に必要なことじゃないかなって思いますね。僕がどんな人間に変化しようが、撮る写真がどれだけ良くなろうが悪くなろうが、そこが変わらなければずっとカメラマン・写真家と言い続けれるんじゃないかなって。当たり前のことだけど(笑)。
HDM:間違いない。そういう世界やな。カメラマンとして約10年、着実に大きなステージを撮っていってるなと見てて思うんやけど、今に至る、更にメジャーな人たちを撮るようになったキッカケって?
青木カズロー:そうだなあ…氣志團ですかね。2012年にCOBRAが2マンツアーをやってて、そのファイナルが新宿ロフトで氣志團とだったんですよ。そのときに「氣志團ってJ-POPのバンドだろ?J-POPのバンドがCOBRAの前でどんなライブをするんだろ」って思いながらカメラをかまえてたんですよね。そしたらバチバチにライブバンドでカッコ良くて、イメージが一新されてしまって。ワンマンだとどんなライブをするんだろって気になって。それでライブ終わってしばらくしてから(氣志團の)マネージャーさんに「今度名古屋であるライブの写真を撮らせてください!」って連絡して。それがキッカケかもしれないですね。
HDM:その写真がどこか世に出てカズローの名が広まったん?
青木カズロー:いや、写真自体露出は一切しなかったですね。
HDM:それはあくまでも自分がよりメジャーな人を撮りたい、ということでのキッカケやね。逆にまわりの状況が変わった撮影っていうのは?
青木カズロー:仕事として稼働しだしたのはやっぱり今一緒に世界中まわらせてもらってるCrossfaithが大きくて。これまでってバンドが専属カメラマンを連れてライブをまわるって文化が日本にはあまりなくて、いち早く彼らが取り入れたと思うんですけど、2015年(MONSTER ENERGY)OUTBURN TOURの名古屋BOTTOM LINEに僕はROACHの写真を撮りに行ってて、そのときにRew(Crossfaithマネージャー)と久しぶりに会って、「また(Crossfaithの)撮影機会があれば撮らせてよ」って話したら「え、うちを撮る気あるの?」って言われて。そしたら翌日電話がかかってきて、「この先俺たちの日本でのライブ写真を全部撮ってくれないか?」って言われて、一瞬「えー!?」ってびっくりしたけど「やろっか」って即答して(笑)。仕事として稼働しだしたって意味では、まだたった3年だけどこれがそうだし、あと自分の状況がさらに大きく変わったって意味ではONE OK ROCKかもしれないですね。「Crossfaithの写真を見て僕にアー写を撮ってもらいたい」って連絡がきて。アー写を撮って、ツアーも撮ってってのがあって、それで僕の名前が多くの人に広まったのが2年前の話で。