Jin Dogg|大阪の「今」を代表する存在をめざしてひた走る(HARDEST MAGAZINE 2018年4月発刊号掲載)

Jin Dogg|大阪の「今」を代表する存在をめざしてひた走る(HARDEST MAGAZINE 2018年4月発刊号掲載)

inverview by HIROYUKI ICHINOKI photo by JUNYA S-STEADY

 

ここ数年ネットを通じ発表してきた数多くの音源(客演ももちろん含む)とライブで、地元大阪のみならずその存在に大きく光が当たり始めたラッパーJin Dogg。日本語のみならず韓国語と英語も操る彼の楽曲はさまざまあれど、ダークなトラップのビートに見せる不穏かつアグレッシヴなラップに何よりその魅力を見出す自分のようなリスナーにとって、穏やかに大笑いもまじえて話す彼の姿は、逆になんだかホッとするようなものだった。それは在日三世という彼の境遇に大きな意味を見い出さんとする先入観もささやかに突き返す。活動を近くするYoung YujiroらとのHibrid Entertainmentでこの春発表するクルーアルバムに続いて、秋ごろには自身のアルバムリリースも控える彼に、フェイスタイム越しで話を聞いた。

 

 

HDM:生まれは大阪の生野区ですよね。

Jin Dogg:生野で生まれたんですけど、なんかオカンが生野で育てたくなかったらしくて、幼稚園ぐらいで引っ越して、そっから点々しとったっすね、大阪市内を。長堀橋へ移ったりとか、上本町へ移ったりとか。でも普通になんの不自由もなく育ちました。

 

HDM:家族はご両親と兄弟?

Jin Dogg:オトンはもう子供のころからいなくて、最後に連絡取ったのは中2くらい。姉ちゃんは1人いますね。

 

HDM:そのころ友達やまわりの環境はどうだったんですか?

Jin Dogg:友達は10人中8人、9人は在日。公園とかコンビニでよくみんなでたまってました。日本人とのハーフも多かったですね。

 

HDM:その後、10歳で家族と韓国に引っ越されたそうですけど、何かわけがあったんですか?

Jin Dogg:なんなんすかね。詳しくは知らないんすけど、ほんまにいきなり決まって転校せなあかんみたいな。

 

HDM:それでソウルの日本人学校に。さすがに戸惑いますよね。そもそも韓国語は話せたんですか?

Jin Dogg:僕は基本日本語なんすけど、(韓国語は)しゃべれたんですよ、オカンが日本語片言やし。ただやっぱり問題なのは、在日ってめっちゃ中途半端なんですよ。日本では韓国人って言われるし、韓国行ったら日本人って言われるし。日本と韓国って戦争の歴史があるから(韓国に行くと)それめっちゃ押してくるんですよ、韓国の人らって。お前ら日本人にどうたらこうたら…って言うヤツがむっちゃ多かったですね。知らんじゃないですか、こっちからしたら。

 

HDM:実際ぶつかるようなこともそこであったんですか?

Jin Dogg:もともと喧嘩とかするほうでもなかったんで、「えーっ…」みたいな感じやったんですけど。徐々に大きくなって反発していくようにはなったですね。

 

HDM:オーストラリアに引っ越したのはそのあと?

Jin Dogg:そうです。でもオーストラリアは半年しかいてなくて。

 

HDM:そうした生活の中で音楽への興味はどのように始まったんですか?

Jin Dogg:テレビで流れる椎名林檎とか、るろうに剣心のあれ…ジュディマリでしたっけ、[そばかす]って歌。そんなんが家で流れててむっちゃ聴いてましたね。たぶんそんときちょっとロックみたいな感じやったと思うんですよ、僕ん中では。

 

HDM:ヒップホップとの結びつきはどのように?

Jin Dogg:姉ちゃんが14つ違いで、海遊びに行ったりするときに連れてってもらってたりしたんすけど、そのときちょうどヒップホップが流行ってて、姉ちゃんがFOXY BROWNみたいなカッコしてて(笑)。口紅黒く塗って、ズボンだぼだぼで、ベースボールジャケットおっきいの着て。一緒におる兄ちゃんらもそんな感じなんですよ、バンダナ巻いてたりとか。カッコ良かったっすね。

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