#サポウィズ|人が人を救うということ
HDM:この活動で、新しい保険制度も導入されていましたよね?
ハッチャン:そう。新しく保険を作ったんです。東日本のときにも作ったんですけど、修繕作業となると高いところや危険な場所での作業がどうしても必要になってくるから。けど掛け金は高いんです。今あるボランティア活動保険だと安くて保証もしっかりしているんだけど、対応の幅がすごく狭かったりするんです。例えば、社協の要請があって入っているボランティアにしか適応されなかったり。それでも、社協によってやっぱり…面倒なことに手を出したくない、新しい試みには及び腰になるということも多いので、地区によっては適応できなかったりします。それを補うために。
アダチ:そうなんですよね。あちらの考えはやっぱり、この行動によってどこかの家庭やエリアからクレームが入るとか、リスクが生じる可能性はできるだけ避けたいというのが根底にあるんですよね。だから、家の修繕なんかは「個々が業者にお願いして下さい」ということにされてしまう。
ハッチャン:義援金も、被災者にまんべんなく受け取りの通達をすることもないですね。「誰が気付くの?」っていうような張り紙をしてあるだけ、とか。それを見た人たちの伝言で、知ることができた人たちだけが義援金を受け取ることができるとか、そういうやり方です。
HDM:被災者のために集まった義援金を行き渡らせないといけないのに、その方法が、この時代において、それ…?
ハッチャン:そうなんですよね。必要なら役場に聞きに来いスタイルっていうか。
ケンジ:彼らにしてみれば、たかが張り紙でも「僕たちはやりましたよ」という何らかの事実さえ残しておけばいいというスタンスなんでしょうね。
-行政は万能ではない
HDM:行政のルールに関していない、みなさんのような民間の支援団体に委託するという形をとることの重要性をますます感じます。
ハッチャン:うん。「社協としてはできないんだけど、この件については#サポウィズさんがやっているから、そこにつなぎますね」というような流れを作るっていう。言い方はあまり良くないかも知れないけど、社協も民間からの要請に対して、ただ「できません」としか言えないのはつらいだろうから、僕たちが逃げ場になってあげるというか。このやり方だと、社協としても心身的にも負担が軽くなるし、僕たちも物資がきちんと流れるようになって、結果として住人の助けになるということだから、メリットのほうが大きいんですよね。
ケンジ:災害が起こってすぐだと、行政はもちろん、地元の人たちですら何が起こったのか具体的にはわかっていない場合も大きいから、少しずつでも見えてくる現場の状況やそのうえでの必要をちゃんとフォローすることができるのかというところですよね。受け入れ体制ができていないと、外部からのフォローも停滞してしまうし。そこの流れをスムーズにしておくことが重要ですね。
HDM:たしかに、行政は万能ではないということは東日本大震災のときに痛感しましたし、そこを叩くだけでは何も変わらないですよね。
ハッチャン:立場というものを無視しろとは僕たちも言えませんから、あくまでも社協さんは窓口としていてもらって、そこで受けた情報をこちらにまわしてもらうようにしています。民間のボランティアが勝手に動くと、民間から「あいつらは何なんだ?」というように不審がられたりすることも多いので、ちゃんと社協さんとの連携があるということが重要なんですよね。
アダチ:実際にボランティア詐欺もありますしね。
ケンボー:僕らみたいな風貌の人間がいきなりたずねてきて「屋根なおします!」って言っても、まずは警戒するのが当然ですしね。「お金取られるの…?」って(笑)。
HDM:たしかに(笑)。それって、例えば証明書みたいなものが発行されるんですか?行政と連携しているというようなことがわかるような。
ハッチャン:社協のところに集まっている民間からのニーズ表というのがあるんですけど、それが証明書になりますね。その書類をもらって現場の調査に行って、実際に住人の方に「では、いついつにこちらの改修に来ますね」というような約束をとりつけるという流れです。
-傷付いている場合じゃない
HDM:ボランティア活動って、きっと時間のあるなしに関わらずほとんどの方がやりたい、やるべきだと思っていることだと思います。ただ、実際にそれぞれが継続しないといけない生活というものがあって、その中でやれることというのが限られてくるというのも大きくあると思うのですが、もうひとつ、そこに関わるということは、まずその状況を現実として受け止めなくてはならないですよね。悲惨な現実をたしかめて、まずは同じように傷つかないといけないんじゃないか、これが大きな壁になっていることもあるんじゃないかと感じていて。被災だけに限らず、動物愛護支援でも同じことが言えるんじゃないかと。見るべきものを見るのが恐いという…だから、義援金なんて綺麗なことを言いながら、せめてお金を渡しているということで何かをごまかしているような気持ちになることがあります。こうして、現場で活動しているみなさんを前にして、こんな情けないことを言うのは恥ずべきことなんですけど…
ハッチャン:それは、やっぱりどうしても見ることになってしまうものではありますよね。被災地という場所では家が流されていたり、街そのものの存在が失われていたり、亡くなった人たちがいて。写真や言葉で言うよりずっと、悲惨で、ただ哀しみしかないです。でも、その哀しさにだけ集中してしまうと足が止まってしまうんです。哀しさに囚われてしまうと、人って動けなくなる。東日本大震災では、僕の家も被災しました。住む家は失ったけど生きているし、身体も動くからすぐに車を走らせて炊き出しをさせてもらいました。どんなに傷付いても、被災した人それぞれの気持ちに完全に同化することはできないし、むしろそうすることで傷を深くしたり、記憶を長引かせたりしてしまうかも知れない。だったら、どこかできちんと気持ちに区切りを付けて、できることをやっていこうと思います。
オノオノガ オノオノノバショデ デキルハンイノコトヲ ケイゾク!
ワレワレ「#サポウィズ」モ オノオノガウゴクキッカケヤ オノオノガカツドウスルシエンヲ ケイゾクシテイキマス!
ガンバッペシ ニッポン!! by トーキョータナカ(MAN WITH A MISSION)