ボクサー“大沢宏晋”その強靭な生き様とファイトマネーの行方
お金は道具。それも、とても便利な道具だ。神は時々この便利な道具を選ばれた者の手に持たせてくれるけど、その使い方までは教えてくれない。使い方次第では、ほとんど死にかけていた者を生き返らせることも出来るし、その逆も然り。「生きた金の使い方をしろ」、と偉そうに言うつもりはないけれど、金を生かすことは自分の人生を生かせることと決して切り離せない。じゃあ、生きたお金の使い方とはどういうことか。その一例が彼の生き様の中にある。プロボクサー大沢宏晋は、リングで必死に戦い手にしたファイトマネーを、知的身体障害者施設に寄付し続けている。彼は強靭なボクサーであると同時に介護士でもある、いわゆる“二足の草鞋”を履いたファイターだ。リングの上で目の前の相手を容赦なく叩きのめした同じ手で、介護を必要とする人々を優しくケアする。このふたつの間を、ファイトマネーという“生きた金”が行き来しているのだ。それが、彼とその人生を生かし続ける、何よりも大切な日常。
HDM:大沢君はプロボクサーであり、同時に介護士でもあるんだけど、介護の仕事はどういう経緯で?
大沢宏晋:介護の仕事に関しては、父親が介護機材のレンタル業を営んでいたのがキッカケです。それまで僕は鉄鋼業で働いていたんですけど、親父の勧めで介護の世界に入ることになって。小さい頃から両親が共働きで家に居ないことが多くて、その時に面倒見てくれていたのがおじいちゃんだったから、すごいおじいちゃんっ子やったんですよ。お年寄りも好きだったし、この道に入るのが自然なことのように思えたというのもあって。
HDM:なるほど。ボクシングの方が先に始まっていたんですよね?
大沢宏晋:ボクシングを始めたのは18歳の終わりくらいからです。小学校3年から高校進学までは野球をやっていたんですけど、ちょうどその時に両親が離婚したりとか、家庭内の環境の影響もあって…何ていうか、精神的にムシャクシャしていて、周りの仲間と上手く馴染めないようになってきて。それで、野球を辞めてしまったんです。野球を辞めてからの1年くらいは、ほんまにどうしようもない状態でしたね。仲間と外に出ては、悪さばっかりして。
HDM:どんな悪さ?
大沢宏晋:とにかく…どこでもすぐ喧嘩してましたね。大乱闘になることもしばしば。その時の僕は、人のことを過剰に殴ることにも抵抗がなかったくらいでした。そんな僕の日常を見かねた友達から「これからどんどん大人になっていくのに、このままやったらお前、ヤクザか町の用心棒くらいにしかなられへんぞ」って言われて。その言葉を受けて、自分の生き方というか、これからのことを考えるようになったんですよね。その時ちょうど、友達が護身用にボクシングジムに通っていて。その友達に「お前にちょうどいい場所を紹介してやるからついて来い」って言われたのが、最初に入ったボクシングジムやったんです。
HDM:最初にその場所に入った時のことは覚えてる?
大沢宏晋:最初にジムを尋ねた時、当時のトレーナーが椅子に座って居眠りしてて。僕もその時は生意気で、口の利き方もよう知らんかったから、寝てるトレーナーに向かって「オイ、起きろやオッサン」とか言って(笑)。寝起きのトレーナーに「俺、ボクシングしたいねんけど」って言ったら「1ラウンド何分か知ってるか?」て聞かれたから「3分やろ」って答えたら「とりあえず、3分このサンドバッグを殴りきったら凄いわ」って挑発されたから「エエから取り敢えずゴング鳴らせや」って言って、3分間サンドバッグを殴りきることが出来たんです。そしたらトレーナーもビックリして、俺の身体を触りだして(笑)。「お前やったらイケる」って。その時のトレーナーの台詞がね「リングの上にお金が落ちてる。それを一緒に拾いにいかへんか?」やったんですけど、その当時は家が貧乏やったから、その言葉にめっちゃ目が眩んでね(笑)。「人のこと好きなだけドツいて、お金が貰えるなんて最高やん」くらいにしか考えてなかったんですね。馬鹿ですよね(笑)。
HDM:(笑)。でも、それが真剣になったわけですよね。
大沢宏晋:それから3ヶ月でプロテストに合格して、ジムに入ってから半年でプロデビューすることになったんですけど、初めての試合のチケット…確か3000円くらいだったかな。それを5万円分ほど売って、その幾らかが自分の売り上げになるわけですよ。それで、親父に「オヤジ、このチケット売ったらお金になるねんな!」って興奮気味に話したら、親父にチケット代を取り上げられて。「何すんねん!俺が人とドツき合って貰う金やぞ!」って怒ったら、親父が「お前が持っててもロクなことには使わへんやろ。この金は、人様の為に還元しろ」って言われて。
HDM:その時のお父さんが仰った意味がすぐに飲み込めたから、ファイトマネーを寄付するようになったの?
大沢宏晋:いえ(笑)。そもそも“還元”の意味もわかってなかったから、「こいつはいったい何を言うてんねん!?」って感じやったんです。親父から「このお金は、人の役に立つように使うんや」って言われたけど、釈然としない感じはありましたね。デビュー戦は結局、引き分けになったんですけど、僕は勝つつもりやったから、試合後に悔しくて悔しくて泣きじゃくってたんです。そしたらチケット買ってくれたお年寄りの方々が側に来てくれて、「チケット買った者やけど、凄くいい試合でした」って声を掛けてくれて。それに何か…救われたような気持ちになったんですよね。そこからですね、ファイトマネーを寄付するようになったのは。自分の意識も180度変わって、そのファイトマネーを稼ぐ為に、ボクシングにも真剣になっていったんです。「人の為に」の意味がようやくわかったっていうか。
HDM:ボクサーと介護士という立場を両立できているのって凄い。それってどういう精神状態なんだろうね。一方では人と殴り合って、一方では人をケアをするという、一見すると相反する状況を行き来するっていうのは。
大沢宏晋:僕はたぶん、すごい“変わり者”なんちゃうかなって思います(笑)。でも、その理由としては、一度関わった物事に対しては徹底してやりたいという自分の性分が一番大きいんじゃないかな。正直、今の状況はボクシングの方がメインになってきていて、介護の現場には、現状では入れても1件とか、デイサービスの送迎くらいでしか関われていないんですけど、どんな状況でも継続していかないと嫌なんですよね。
HDM:徹底してまっとうしたいんだね。そう言えば、以前1年間のライセンス停止処分を受けてたよね?あれはどういうことだったの?
大沢宏晋:あれはね、簡単に言うと、JBC(日本ボクシングコミッション)非公認のWBO(プロボクシング世界王座認定団体のひとつ)のタイトルマッチに出て、虚偽の申請を出したということで、所持していたOPBF東洋太平洋フェザー級王座、WBOアジア太平洋フェザー級暫定王座を剥奪されて、ライセンスも1年間停止処分になったんです。
HDM:その処分中の1年間はどうしてたの?
大沢宏晋:その時は…もう何もかも嫌になってしまっていたから、実を言うとボクシングを辞めようかなって考えていたんです。ずっと家に引きこもっていましたし、引退届にサインも判も押して後はもう出すだけ、という状態やったんです。そうしていたら、東日本大震災が起こって。そこで仲の良いモツ鍋屋のオーナーから「今から東北に行くぞ」って連絡があって。急いで荷物まとめて被災地に向かって、2泊3日で合計700人分くらいの炊き出しを行ったんですけど、そこで見た風景………仮設住宅暮らしの子供たちがボール蹴って遊んでたのをよく覚えているんですけど、そこにいる人たちは家も家族も、大事なものを何もかも海に流されて、これから踏ん張っていかなアカンっていう人たちばっかりやった。それを受けて「たかが1年の我慢くらいで、俺は何を言ってるんや」って思って。「こんなことで自分が終わってしまってたら、今ここにいる人達に顔向けできない。被災地にいる人たちも自分も、失ったものをまた取り返す為に頑張るんや」って思ったんです。
HDM:あれは未曾有の出来事だったけど、だからこそ得られるものはとても大きかったと思います。そこからはどう方向転換していったの?
大沢宏晋:絶対に復帰すると決めた以上、普通に戻るのでは意味がないと思っていました。だから、「ここからの試合はすべてKO勝ちで行く」という覚悟と気合いを腹に決めました。そして、そのままチャンピオンの椅子を取りにいこうって。
HDM:それを本当に実現してきて、来月のラスベガスで行われるWBO世界フェザー級王座戦に初参戦が決まったのって…何というか、ドラマのような現実ですよね。
大沢宏晋:今年の下半期で言えば世界最大のラスベガス興行にキャスティングされたことに対しては、自分の人生において、まずひとつの大きな到達点に手が届いた気がしますね。ボクシングは実力があっても資金力がないことで沈んで溺れていってしまう人たちがけっこう多いんです。僕はそんな理由で可能性を諦めるのは絶対に嫌やった。同じく潤沢な資金力があるわけでもない自分が世界の舞台に立つにはどうやったらいいんやろう?って考えた時に、出た自分の答えが「勝ち続ければいい」というシンプルなことでした。負けへん限りは、いつか何らかのチャンスが巡ってくるって確信があったから、とにかく勝ち続けることに専念しました。その結果、世界ランキングも徐々に上がって、そこから今回の世界戦の話に繋がって。
HDM:参戦の連絡を受けた時の心境はどうだった?
大沢宏晋:ジムから「お前、1カ月半後に世界戦が決まったぞ」って聞いた時、僕自身はいつどこでどんな試合が決まってもいいように毎日練習していたから、試合に対する準備は出来てたんです。でもトレーナーから「どこの興行やと思ってる?マニー・パッキャオ(世界6階級王者)がメインで出る、ラスベガスで開催される2万人クラスの興行や」と聞かされた時には身体が震えましたね(笑)。自分がボクシングを始めた時から夢見ていた、テレビの中にしか見れなかったあの場所にボクサーとして立つことが出来るなんて、これ以上の幸せはないやろうなって思いました。自分の人生は恵まれているって。
HDM:ボクサーとしてどんどん世界に進出していこうとしている状況の中、ご自身では介護施設も設立されましたよね。例えば、ボクシングだけに集中しようと思えば出来るのにも関わらず、そうしない理由は?
大沢宏晋:何と言うか、僕は内面的にはまだまだ未熟だという自覚があるから、仮にボクシングだけやっていたら横柄な人間になっていってしまいそうで嫌なんです。リングを降りてから、規則起立を守って労働する環境に戻ることで、人間力を養っていけているんだと思っているから。正直、精神的に集中したい時もあります。特に今回のような大きな興行の場合には。でも、どういう環境であれ、求められたコンディションまで自分を高められるのが“最高のアスリート”だと思いますし、自分はそうありたいと思っているので。
HDM:どうやってメンタルコンディションを整えているの?
大沢宏晋:何か起こった時には、とにかく「踏ん張れ」って言葉を自分にかけています。今ここを我慢した先には逆転できるチャンスが絶対くるからって。その瞬間に我慢できるか出来ないかで次の一手が変わってくると思うんです。良きにしろ悪しきにしろ、出た結果を一度は腹におさめるということが大事で。それは必要があってそうなったことやから、そこからまた逆転の機会を得ればいいと思います。巧くできているもので、信じ切っていれば、ちゃんとそれを昇華できるチャンスが“必ず”巡ってくるんですよ。
このインタビューは彼の地元である、大阪は生野区にあるモダンな喫茶店で録った。私たちが店内に入るとすぐに、彼がよく通っているという地元の銭湯を営んでいるおばちゃんがいた。彼とおばちゃんはいつもの挨拶を交わしてすぐ、別々の席についた。インタビューが終了する頃には、おばちゃんは既に居なかった。私たちのオーダー分を支払おうとすると、マスターが「さっきの銭湯のおばちゃんからみんな頂きましたよ」と言った。私たちはそれぞれ顔を見合わし、マスターはカウンターの向こうでニコニコしていた。大沢宏晋は、彼のサポーターまでもが最高にクールだ。11月、ラスベガスのリングの上に立った後の彼と、また話したい。
EVENT INFORMATION

『WBO世界フェザー級王座決定戦』
日程:2016年11月5日(土) ※日本時間11月6日
場所:トーマス&マックセンター(ラスベガス)
対戦:オスカル・バルデス(メキシコ / WBO世界フェザー級王者)
お問い合わせ:チーム大沢 06-6758-5000