CHOPPER|スケートというスタイル そしてカルチャーを作るもの
初めてCHOPPER氏を見たのは90年代後半。ファッション雑誌だったのかスケート雑誌だったのかは曖昧だけど、その特異すぎるスタイルに一瞬で目を奪われた。ブルーのスパイキーヘアーに鋲ジャン、確かそんな出立ちだったように記憶している。それから暫くして、今度はアメ村の三角公園で実物を見ることになった。彼はその時、仲間と一緒にスケボーをしていた。彼は、今もなお日本のスケーターに多大な影響を与えるライダーだ。オリジナリティあふれるスタイル、技術力はもちろん、自身に根差したパンクスピリットなど、生粋のストリート育ちである彼を形成するものとは。
HDM:東京オリンピックに向けて、IOC(国際オリンピック委員会)が作成するPR動画に出演されるみたいですね。
CHOPPER:うん。最初は、いわゆるスポーツタイプのスケーターが候補にあがったらしいんだけど、それが通らなかったみたいで。それで俺とHAROSHI(乗り古したスケートボードを用いてスカルプチャを製作するアーティスト)の2人をフィーチャーすることになったみたい。
HDM:スケボーがオリンピック種目に選ばれたことについて、スケーターとシーンには大きく影響がありそうですよね。
CHOPPER:そう。だけどそれに関してはスケボー業界でも賛否が凄くあって。普通の感覚だったら「あんな世界規模のステージにスケボーが進出するなんて最高の展開」って思うんやろうけど、スケーターにはストリート出身の人間が多いから、やっぱりアンチオリンピックの思想を持っている人もいるよね。
HDM:CHOPPERさんはどちらですか?
CHOPPER:もっと若い時ならアンチ精神の方が勝っていたかも知れないけど、こうやってIOCからの話も受けて、いろいろと自分なりに考察してみた現在では、個人的には中立の感覚かな。結局のところ、自分がブレさえしなければ何の問題もないことなんだろうと思うから。例えば、今まで国内に100人のスケーターしかいなかったとして、その中でストリートでやってるマイノリティタイプが1割だとした場合、オリンピックがキッカケでスケーターが1000人に増えたら、同じようにマイノリティの人数も増えるよね。根本的なところでシーンを絶やさないという意味では、オリンピックのメリットは大きいと思う。自分自身に関しては、この年齢(44歳)まで(マイノリティな精神を)貫いてきたし、どう転ぼうがそこからもうブレようがないって自信もあるしね。スポーツもストリートも、これをキッカケにお互いのスケートシーンを自由に行き来できる環境が作れたらいいんじゃないかな。選択は自由やからね。
HDM:CHOPPERさんを10代で初めて見た時、その特異な存在感でスケーターなのかパンクスなのかすぐにはわからなかったです(笑)。
CHOPPER:ハハハ!俺もこの歳までずっとスケボーを続けてきてるわけやけど、それは単にジジイがしがみついているだけっていうんじゃなくて(笑)、若い頃ではできなかったこと、今だからこそチャレンジできることをやっているだけなんよね。俺、周りからはスタイルがあるように見えているのかも知れないけど、いわゆる「スケーターとしてのプライド」っていうのは全然なくて。
HDM:そうなんですか?
CHOPPER:うん。俺にあるのは、スケーターとしての精神性よりもパンクスピリットやね。パンクという精神性やカルチャーに対するアイデンティティの方が強くあって。パンクって言ってもいろんな要素があるけど、俺の場合は、それっぽい格好をして不平不満だけを吠えてるヘイター・パンクスじゃなくて、どうしても納得いかない状況を「自分の手で変えていく」っていう姿勢のこと。
HDM:例えば、今の時点では何を変えていきたいと?
CHOPPER:パンクスは、いわゆる「政治的思想」が根底にある人が多いんやけど、そこは自分には…何て言うか分不相応やと思ってて。やっぱり俺自身の直近の日常、生きてきた世界はスケボーシーンやから。スケボーの世界で言ったら、ジャンル自体のオリンピック参戦が決まったまではいいけど、日本自体のスケボーシーンのレベルは世界に比べるとまだまだやし、そこをどう変えていくかっていうことを常に考えてる。スケボーを使ってこのシーンを上向きに変えていきたいって思うよ。だから俺はスケーターというより、スケボーを使ってシーンを変えていくアクティビストって言ったらいいのかも知れない。音楽とかファッションとか政治活動とか、“パンク”と称することができる活動はいくつかあるけど、それはジャンルじゃなくてあくまでも精神的なところであるべきやと思う。いくら髪の毛逆立てて鋲ジャン着てたって、精神性が伴っていないものをパンクと呼ぶことはできないから。
HDM:日本のスケボーシーンは実際のところどういう状況なんですか?
CHOPPER:日本って、スケボーの世界においては未だに“発展後進国”やと思ってる。これは誤解を生む表現かも知れないけど、国内のスケーターで世界に出ていこう…それがオリンピックだろうがストリートだろうが、そういう意志を持っているスケーターが著しく少ないんじゃないかなって感じてる。それがシーンを“後進”させている大きな原因のひとつであると思う。今の日本のスケーターで、オリンピックの上位まで行ける人間がいるとは、俺は正直思えない。
HDM:アスリートとしてのレベルよりも、もっと大事なところもありますよね。
CHOPPER:スケーターのレベルはシーン自体の発展との相乗効果だから、スケボーシーンにおいて世界一のアメリカから見たら、日本のスケーター、スケボーシーンはすごく遅れていると思う。これは、実際に海外のスケーターや向こうのシーンと関わってきて、日本人である自分自身が感じたことでもあるんやけどね。今は、ネットで世界中のスケーターのプレイがいつでも好きな時に見ることができるし、それを、いわゆる教材にして研究もできるのかも知れないけど、やっぱり実際にレベルの高い海外のシーンの空気感を肌で感じることとは比べ物にならないと思う。画面で見るスケーターを実際に目の前で見ると、体格も段違いだし、ランプの規格も同様に2割り増しでデカい。ネットを批判するわけじゃないけど、同時にちゃんと自分の目と足で現実を確かめることもやらないと、ネットで得ただけの知識だけでは簡単にやられてしまう。画面上での研究や「気合や~!」みたいな“根性論”だけでは通用しないよね(笑)。
HDM:私自身もスケボーはスポーツというより、それ自体のカルチャーという認識の方が大きいですよ。
CHOPPER:スケボーはカウンターカルチャーとしての要素も大きくあるから、単に巧い下手の話じゃなくて、それを使ったクリエイティブな発展も大事やと思う。運動能力だけじゃなくて、自分の感性をどう生かすか。俺らのようなストリートスケーターは、ノーマルなタイプから見たらカッコにしてもやることにしても、凄くアブストラクトに見えていたかも知れないけど、海外ではスケーターとアートはすごく密接な関係であるし、お互いの相乗効果があったからこそトップクラスのレベルにまで発展できてるんだと思うよ。
HDM:CHOPPERさんが今の精神性やスタイルに辿り着くことになったキッカケって?
CHOPPER:子供の時はね、俺自身もノーマルな、いわゆるスポーツマンタイプのスケーター少年やった(笑)。カルチャーとかスタイルになんか目も向けていなかったし、自分の尺度は技が巧いか下手かだけだった。でも、ある時にアメ村の三角公園で一緒に滑ってた先輩たち…俺らガキンチョは“大人軍団”って呼んでたんやけど、そのうちの1人が『LORDS OF DOGTOWN』さながらの80sスタイルのスケーターやって。彼に「お前に技術あるのはわかったけど、スケーターはダサかったら終わりなんや」って言われて。それまで俺は三角公園内のエリアでしか滑ってなかったんやけど、初めて大人軍団にストリートに誘われて彼らの後に付いて行った時、混み合った人並みをスイスイ滑り抜けていく彼らについて行くことができなくて、途中から腕にボード抱えて彼らの後ろを必死で走って追いかけることになってしまって(笑)。その時にね、「うわ~!俺、すっげえダセえ!」って思った。スケーターはダサかったら終わりやなって(笑)。だからって見てくればっかり磨いたって意味ないから、見た目はパンクスやけど、技術もちゃんと高いスケーターになろうって思ったんよね。