ILLMARIACHI|20年の時を経て更新される日本語ラップ史に残る伝説的傑作
今や伝説として名高いTOKONA-Xと刃頭のユニット“ILLMARIACHI”。97年にリリースした『THA MASTA BLUSTA』が、新たに未発表秘蔵オリジナルリリックスヴァージョンを収録した20周年記念エディション作品としてリリースされた。本作は紛れもない日本語ラップのクラシックであり、マーケットに溢れるあまたの凡百とは比較にならない金字塔的な1枚だ。まだ触れたことのないラップファンには是非手にとって聴いて頂きたい。また20周年のアニバーサリーの一環として、刃頭による『ILLMARIACHI BEATS and ACAPELLA』も同時発売。作品リリースに至る経緯から、結成時のエピソードまで。なぜ、ILLMARIACHIが伝説なのか。名古屋のリヴィングレジェンド刃頭に20年前まで遡って徹底的に話を聞いた。これがILLMARIACHIのインタビュー「永久保存版」。
HDM:今年(2017年)がアルバム『THA MASTA BLUSTA』リリースから20周年ですが、ILLMARIACHIの結成は1996年ですね。
刃頭:そうですね。(ILLMARIACHIの結成は)さんピンCAMPなんです。最初はTWIGYとBEATKICKSというグループで出る予定だったんですよ。それがTWIGYがさんピンCAMPの直前にニューヨークに行ってしまって、僕は「TWIGYが出られない」という情報をECDからもらったんですよね。それで急遽(ECDから)「誰かラッパーを連れてきてくれない?」という連絡が入ったんです。(さんピンCAMPは)生半可なステージじゃないのはわかってたし、だったら「ビビらせてやろう」と思って、名古屋でズバ抜けてオリジナルなトコナメ(TOKONA-X)を連れて行ったんです。
HDM:ILLMARIACHI以前から刃頭さんとTOKONA-Xさんは一緒音楽をにやっていたんですか?
刃頭:当時、僕たちは名古屋で音韻王者(オーティノージャー)というグループを組んでいました。あの時期ってニューヨークでWu-Tang(Clan)とかが出てきた頃で、スタッテンアイランドのラッパーがいっぱい集まって、みんなでなんかやっているみたいな。そういう匂いがカッコいいなと思って、そういうことを僕らもやろうとDJが2人とラッパーを3グループから集めたのが音韻王者です。その中のひとつのグループが、TOKONA-Xと“E”qualのBRAND NAGOYANでした。
HDM:まだM.O.S.A.D.以前ですね。話が前後しますが、そもそも刃頭さんとTOKONA-Xさんの出会いはいつなんですか?
刃頭:出会いはいつなんだろ?多分トコナメが17歳くらいの頃だったと思います。行きつけのレコード屋さんで「若いけど頑張ってて面白いヤツらがいるよ」と聞いて、それがTOKONA-Xと“E”qualでした。それでテープか何かを聴かせてもらって、イケてたので声をかけたんですよね。BRAND NAGOYANがあって、音韻王者があって、ILLMARIACHIがあって、M.O.S.A.D.という流れですね。(音韻王者には他に)nobodyknows+のメンバーがいたり…という中から、さんピンCAMPには名古屋弁の使い手のトコナメをセレクトして連れて行ったんです。それで前日にリハをやってホテルへ戻る時に、「せっかく2人で来たんだからユニット名を考えといてよ」とトコナメに言ったんですよ。そうしたら次の日の朝トコナメが「ILLMARIACHIってどうです?」と言ってきて。当時、僕もトコナメもROBERT RODRIGUEZとかTARANTINOとか、そこら辺の映画にハマっていたんですよ。それで好きだったRODRIGUEZの『DESPERADO』の元になった『EL MARIACHI』という映画を文字った『ILLMARIACHI』という名前をトコナメが考えてきて、即答で「それにしよう」と。だからILLMARIACHIはさんピンCAMPの当日に誕生したんです。
HDM:伝説の幕開けにふさわしいエピソードですね。いま名古屋弁の使い手というお話が出ましたが、TOKONA-Xさんのラップの魅力のひとつは方言のカッコよさが確実にありますよね。
刃頭:今は(ラップのスタイルについて)誰っぽい、これっぽいと言うじゃないですか。情報が多過ぎて意識をしなくてもそうなってしまうという部分もあると思うんですよね。トコナメはそういう影響のされ合いがまだない時代の、本物のオリジナル男ラップというか。初めて自分たちの住んでる土地の方言を惜しげもなく使ったスタイルだと思います。僕らは特に地元が同じ名古屋の人間なんで、トコナメのラップは聴いていて生々しさが倍増するんですよ。恥ずかしい程の生々しさ。そこがまたトコナメのラップの魅力だと思いますね。
HDM:さんピンCAMPの時のTOKONA-Xさんについて覚えていることってありますか?
刃頭:あの時、トコナメはステージの上で一番最初に「名古屋だがや」って言ったんですよ。それは…TWIGYと僕でまだBEATKICKSの頃、東京での初めてのライブでTWIGYが第一声で「名古屋だがや」って言った…それをトコナメは知っていて、さんピンCAMPのステージでそう言ったんですよね。僕もそこをナゾってくるとは思わなかったんでびっくりしました。それはTWIGYに対するメッセージでもあっただろうし、お客さんたちに対する自分のアピールだったとも思います。みんなラップで有名になりたきゃ東京に行かなきゃとか、当時はまだそういう状況じゃないですか。地方でやっていてもどうしようもないんだろうな…みたいな。それぞれの土地のコミュニティがまだしっかりしていなかったんです。雑誌を見ても東京の情報ばかりでしたし、その頃で言えば『宝島』とかでたまにヒップホップの情報が出ていたら、そのたった1ページ2ページを貪るように見てました。でも、そういう情報は全部東京のものなんですよ。トコナメの「名古屋だがや」はそのシーンの状況を打破すべく放った言葉ですよね。あの日の代々木には地方から来ていたアーティストも客席にはいっぱいいました。名古屋からはPHOBIA OF THUGも来ていましたし、もっと色々いたと思います。トコナメのあの第一声はそういう、各地方でやっていたアーティストに響いたんじゃないかなと思ってます。
HDM:その場にいなかったTWIGYさんとILLMARIACHI誕生当日のさんピンCAMPのステージで、TOKONA-Xさんがリンクしているという…。
刃頭:トコナメはTWIGYを尊敬していましたからね。尊敬していたからこそ、アルバムでも客演をしてもらったわけですし。常にTWIGYを意識しているということではなかったと思いますけど、あの時期はTWIGYの存在が本当にクソデカかった。名古屋でラップをやる以上、TWIGYの名前は頭にチラついていたと思います。(MICROPHONE)PAGERでバリバリのイケイケでやってる状況を名古屋から見ている。そういう状況でしたからね。TWIGYが東京に行ったことによって、俺たちは名古屋を盛り上げるぞという意識も高まったと思います。
HDM:その話を伺うと『今昔物語』の意味がさらに増しますね。この曲は一緒に録られたんですか?
刃頭:いや、一緒に録ってないんですよ。これは一緒に録りたかったな…今となっては悔やまれますね。この時期はTWIGYにしても多忙な状況だったから、あっちで録ってこっちで録って、それを引っ付けて、確認して、それでちょっと直して、またこっちも直してっていう。『今昔物語』はそういう作り方でした。当時はTWIGYがトップを走ってて、そこにトコナメが入ってきて、名古屋のあの時代の新旧の繋がりがあった上でできた曲ですね。
HDM:いきなりアルバムのいい話を伺えてしまいました。では、ここからは20周年記念エディション作品としてリリースされた『THA MASTA BLUSTA』について改めてお話を伺いたいです。ありきたりな言い方ですが、今聴いても全然古びた感じがしませんでした。TOKONA-Xさんのラップのフレッシュさは本当に唯一無二だなと。
刃頭:ILLMARIACHIの頃なんで、まだトコナメのラップも上手くないというか、最後の方はスキルも上がってて、生々しさと野太さとスキルが相まって、なんだか凄いことになっていくんですけど、ILLMARIACHIはそのスタートライン、トコナメのラップの原点というか、そこらへんのフレッシュ感もありつつ荒さもありつつ。なんせ20年経っても僕も新鮮に聴けました。
HDM:刃頭さんのビートがまたバキバキで。今でこそ、例えば任侠映画からのサンプリングだったりというのは、ありがちとは言わないまでも、ひとつの面白さみたいなパターン性を感じたりしますが、刃頭さんはそういった和物を使うオリジネイターみたいな印象があります。ILLMARIACHIの頃の僕はただのリスナーであり、現場の空気を全然知らないヘッズだったので、刃頭さんの音を聴いて、ずっとめちゃくちゃ怖い人なんだと勝手に想像していました。刃頭さんはビートで怖がらしてやろう、ビビらしてやろうみたいな、煽るような気持ちってあったりしたんですか?
刃頭:任侠系の映画音楽をネタにしてサンプリングしたのは、怖いビートを作りたいというよりは、単純に「カッコいい」を追求したところですね。それが結果的に怖くなっちゃうみたいなことはあるのかもしれないですけど、それは意識してではなくて自然にそうなった。『仁義なき戦い』とか『赤穂浪士』だったり、そういう映画を見ていても、同じ映画の中でビビッとくる音楽、こない音楽があるじゃないですか。その感覚で、たまたま使ったサンプリングを聴くと、みんなが怖がるということはあったかもしれないですけど。ただそれは自分が本当に大好きな音楽なり映画なり、カッコよさは追求してサンプリングをしているだけで、どうやったら怖くなるかっていうのは考えてなかったです。そういう音がありつつ、同じアルバムの中にはアイドルのボーカルから「ハズ」という言葉を取り出して、「ハズハズハズ」って言わせてるようなコミカルな曲もあったり、ジョークをインストに乗せて笑わせるような曲もあったりするので。
HDM:言われてみれば確かにそうですね。もちろん、その怖い感じが僕の中でカッコいいに直結していましたが。ILLMARIACHIから少し話が逸れますが、後の刃頭さんのプロジェクトでMC漢を客演に招いた『イキザマ』やILL-BOSSTINOを招いた『野良犬』は、今も大好きな曲なんです。この2曲が、僕が思ういわゆる怖くてカッコいいビートの象徴みたいな音です。
刃頭:だから、和物を使うっていうことへの意識ですよね。『最狂音術』のシリーズをソロで作っていた時期は軍歌とかも使っていたんですよ。それは思想的な右というより、純粋に日本人として誇れる音楽をどんどん作っていきたいという気持ちがあったからですね。ヒップホップをやるにしても、アメリカに右習えはダサいと思っているんですよ。ヒップホップって、ヒップホップだけを聴いてるヤツが表現していったら、無くなっちゃうジャンルだと思うんですよ。みんなが一緒のジャンルからネタを取ってきて、「ヒップホップやソウルを聴かないとダメ」とか、「ジャズをサンプリングしなきゃいけない」みたいな、そんなつまんないことを言ってるようなヤツが全員になっちゃったら、ヒップホップは面白くない。ヒップホップの醍醐味は本当になんでも、どんなとこからでもサンプリングを取って、ヒップホップ的な解釈でカッコよく作り直してやって、そこにラップを乗せたりトラックだけで聴かせたり。僕は日本人である以上は日本人のフィルターを通して、「これは日本人が作ったんだね」という風にちゃんと作りたかった。それで意識して和物のネタを使っている時期がずっとあったんです。さっき話した任侠映画の音もそうですけど、それでちょっと怖いトラックというイメージがついていたんですよね。
HDM:和物を使い出したのはILLMARIACHIが最初なんですか?
刃頭:和物で作り出したのは…もともと10代の頃から結構やってますね。その…なんていうんだろ…和物と意識しない和物というか、その頃は普段聴いてる音楽からドラムなりネタを取ったりすることが多かった。だからサディスティックミカバンドのドラムを取ったり。普段サディスティックミカバンドを好きで聴いていて、「ここのドラム使えるじゃん」ってサンプリングする。で、その上に「じゃあ何を乗せる?」みたいなのを順番順番に手の届く場所にあるレコードから探すと「結果、和物が多いな」みたいな、そんな感じでしたね。だから和物を使うことを最初は意識せずにやっていたんですけど、途中から意識して和物を数多く取り入れるようにはなってましたね。特に最狂音術の頃はそうだったと思います。中のジャケットで白いスーツにドスを挟んでみたいなことをやったり。それは任侠映画にハマってたんで、見た目の憧れをジャケで表してみたんですけど…(笑)。
HDM:なるほど。そういうのを少しづつ見て、お会いしたこともない刃頭さんを勝手にずっと「怖い」と思い込んでいたのかもしれないです(苦笑)。
刃頭:刃頭が怖いっていうイメージは、若かったからしょうがない部分もあるんですけど、絶対的にこれがあるんだろうなっていうのは、インタビューを受ける時とか写真を撮られる時は絶対に目を隠していたんですよ。それは緊張するからなんですけどね。近くから撮られたりするのに慣れてないし、いまだに緊張し屋さんなんで、DJをやる度にプレイする前は緊張するんです。いざ回し始めるともう緊張もないですし、楽しみになっちゃうんですけど、デカいイベントがあると凄いナーバスになっちゃって。そういう心の持ち主なんで、すぐ近いところからカメラを向けられるとどこを見ていいかもわからないし、困っちゃうんですよね。それでニット帽を目深にかぶったり、般若心経のバンダナで顔を隠したりして…それだけのことですね。だからただのイメージです。
HDM:納得です。それでは今回のILLMARIACHIの『THA MASTA BLUSTA』の話に戻りますが、20周年記念エディション版をリリースすることになった経緯から伺いたいです。
刃頭:今回の話に関して言えば、まず僕は20周年ということに気付いてなかったんです。このエディション版という話の前に、今、若い子たちが『フリースタイルダンジョン』だったりがあってラップに目覚めているじゃないですか。学校の休み時間に高校生がサイファーをやっていたりという状況があるので、せっかく若い世代にヒップホップカルチャーが伝わっているんだったら、それを流行りで終わらないように新しいものを何か提供するというのは、僕ら“ヒップホップ職人”の役目だと思っているんです。それを考えた時、新しいものなら僕じゃなくてもやれる。もちろん僕は僕で新しいものも出すんですけど、その前にまずILLMARIACHIの存在を若い子たちに知ってもらいたいなと。それで、フリースタイルが流行っているんだったら、そこにILLMARIACHIのビートがあれば、練習用として目新しく映るんじゃないかなと。その思いがまずあったんです。ラッパーはビートの上でラップをして遊んで、その他にアカペラもあれば、DJもそれを使って自分で作ったり選んだりしたビートで遊んだり、自由にリミックスを作ったりもできる。DJとラッパー両方に遊べるような道具、オモチャとしてILLMARIACHIの昔のアルバムを使いたいと思って、P-VINEに連絡したんです。その時にちょうど「20周年だ」と教えてもらって、今回のリリースについての提案があったので、「じゃあ合わせてやりましょう」となりました。
HDM:ビート集とアカペラ集のセットありき…から始まった話なんですね。
刃頭:そうですね。だからアルバムの再発は頭に無かったんですけど、「20周年記念でアルバムをエディションで出しましょう」とP-VINEに言われて。その時に「ただ出すのではなく、聴いたことがないような隠している音源ないですか?」と聞かれて、今回の2曲をふと思い出したんですよ。
HDM:それが『NAGOYA QUEENS』と『Younggunnz』ですね。
刃頭:元々のアルバムでは、『NAGOYA QUEENS』はスクラッチでリリックが一部隠されていて、『Younggunnz』のトコナメの最後のヴァースに関しては全部書き直させられてるんですよ。ちなみに『NAGOYA QUEENS』はさんピンCAMPのディス曲で、『Younggunnz』はZeebraへのディスの曲です。後に日本人もいろいろビーフがあって、今ではこういう文化もヒップホップにはあるというのがわかってきたんでしょうけど、当時はまだ日本でバトル文化が無かったので、ダメということになったんです。今回のこの2曲は、リリックが隠されたり、書き直させられてない“オリジナルヴァージョン”で入っています。
HDM:そういう意味でもILLMARIACHIは早かったんですね。確かに当時はリスナーの目線から見ても、中央で活動しているアーティストはまだ全員が知り合い同士というイメージで、ラッパー同士が攻撃しあっているという感じではなかったですよね。ラッパーもどきに対しての攻撃はあっても、ラッパー同士ではなかった気がします。ちなみにあえて伺うとこの2曲はどんな思いからのディスだったんですか?
刃頭:それはトコナメの感情の部分なので、僕にはわからない部分ですよね。それは僕が逃げてるわけじゃなくて…そもそも逃げたいのなら世に改めて出す必要がないので…トコナメはトコナメの思うところがあったんだと思いますよ。実際、さんピンCAMPにしたって、僕らはまったく無名の状態でパッと出ていって、いざライブをやったはいいけど全然反応は薄かったんですよ。そういう中で淡々とライブをやって名古屋に帰ってきた時の感情が『NAGOYA QUEENS』。「年寄りが集まりやがって、今度は俺らがやってやるんだ」みたいなノリですね。『Younggunnz』のZeebraディスに関しては…これも思うところがあったんでしょうね(笑)。その時はキングギドラも同じP-VINEだったし、そのリリックのままでは出させてもらえなかった。ただ、これだけは言えるのは、僕らはその頃からアメリカのビーフの部分まで見えていてわかっていたので、当たり前のようにリリックに入れたということです。それが当時のP-VINE的にはちょっとこれはダメということになって、書き直させられたものと、消さされたのが…この2曲です。
HDM:そう伺うとかなり貴重な未発表曲ですね。こうしてせっかくお話を伺える機会ですので、刃頭さんから見たTOKONA-Xさんの印象についてのお話を少し聞かせて頂きたいです。
刃頭:可愛いやんちゃ坊主って感じでしたね。優しい、いいヤツですよ。ILLMARIACHIのアルバムを作った後くらいの時期に、トコナメの子供が生まれたんですね。それで、ILLMARIACHIの練習や曲の調整をやっている時に、トコナメの携帯が鳴って「ちょっと今日は行きますわ」みたいな、「子供を風呂に入れなアカンもんで」という感じで帰っちゃうことが多々あったんですよ。当時は僕には子供がいなかったし全然理解できなくて、「嫁さんが入れればいいじゃん」みたいなことをチラっと腹の中で思いながら、「わかった」ってわかったフリをして見送っていたんです。今になると僕にも子供が3人いて、子供を風呂に入れるために帰る。その自分の使命というか、そこを大事にしていたトコナメの気持ちが凄くわかって。あの時、気持ちよく見送ることができなかった自分に腹立たしさを覚えてます。
HDM:挑発的な曲も多いですし、荒くれた伝説みたいな評判も聞くアーティストですが、TOKONA-Xさんの人柄が伝わるエピソードですね。
刃頭:トコナメは若くして逝ってしまった。若い、感情が爆発する時期しかみんな見れていないので、怖いというイメージが1人歩きしてしまったというのはありますよね。どんな人間でも若い頃は上手いこと自分の気持ちや感情をコントロールできない時期がある。そういう100%自分をモロに出してしまう状況のままいなくなって、そのイメージが色濃く残ってしまった。今だって、例えば「昔は悪かった」みたいな、「昔、俺は暴走族の総長だった」みたいな人が芸人になって、普通に人をガンガン笑わせていたりしているわけで、そういう人たちだってずっと尖がってるわけじゃない。トコナメにしても、仲間内では本当に可愛がられる存在だったんですよ。そういうことを知らない人から見ると、ステージ上で完全にみんなを挑発しながらイケイケでラップしてる姿を見て圧倒されちゃって、「うわっ、怖え」みたいな。「あそこでケンカしたらしいよ」みたいな話になってしまいますけど…でもアイツほど愛されたヤツはいないですよ。本当にいい笑顔なんです。アイツのことを思い出そうとすると、僕は本当に笑顔しか思い出せないんですよね。
HDM:それでは最後に、現在の刃頭さんについて伺いたいです。最近、ヒップホップだと刃頭さん的には誰がキテるんですか?
刃頭:KRS ONE(即答)!
HDM:お~、そうなんですね。
刃頭:そこは変わってなくて、僕がヒップホップをもらったのはBOOGIE DOWN PRODUCTIONSが多いです。今日も思ったんですよ。最近のビートって薄いじゃないですか。DJ PREMIER以降、シンプルなトラックが流行りだして、ラッパーメインだと思うんですよ。ラッパーがラップしやすいトラック、ラッパーが映えるトラック。それがずっときてるんで、またそろそろ90年代とかのヒップホップ、トラックでガチッと持ってかれるようなヒップホップが来るんだろうなぁってボーッと思っていて。…ということは「俺の時代じゃん」とさっきも思っていたんですよ(笑)。
HDM:最高です(笑)!営業中にも関わらず(インタビューは刃頭さんが経営する名古屋矢場町のカフェ『JIRRI.』で行われた)長時間ありがとうございました!
RELEASE INFORMATION

ILLMARIACHI / THA MASTA BLUSTA
20th ANNIVERSARY EDITION
P-VINE
PCD-28033
2800円+TAX
2017年3月2日発売
RELEASE INFORMATION

ILLMARIACHI
ILLMARIACHI BEATS and ACAPELLA
P-VINE
PCD-20380
2000円+TAX
2017年3月2日発売