GAKKIN|肌に刻み 身に纏う芸術
本人が「自分は完全に職業作家だ」と言い切っているのを承知でこんなことを言うのは失礼なのかも知れないけれど、彼は、“彫師”というより“絵師”に近い存在であるように思う。それは、彼がこれまで描いてきた作品を見て率直に感じたことだ。古典も近代も現代も、自身が影響を受けたすべての芸術表現を独創的に使いこなすフレキシブルな感性は、技術者であると同時に唯一無二のアーティストそのものであると思う。紙上ではなく、生温かな人間の肌の上であるという「額縁をつけては飾れない」芸術作品を求めて、海外から多くのファンが訪れるというもの頷ける。それらの人々が彼が描いた作品を身につけ、自分の肉体が消滅するまで共に生き続けるのだと思うと、それはもはや芸術の概念を越えているような気さえしてくる。
偶然にも、このインタビューをちょうど書き終えた時、先のタトゥースタジオ、そして彫師の一斉摘発、逮捕が行われた件の裁判が始まったとニュースが流れてきた。ニュースの見出しには「刺青はアートと主張」という文字が大きく置かれていた。その裁判の内容にも、そこに群がる暇人たちのどうでもいいコメントにも正直うんざりした。“悪者”を作り上げるのは、実に英雄を生み出すよりも簡単だ。それまでさして気にも留めていなかったようなことをわざわざ拾い上げて脚色し、膨張させてから晒し、そして同調してくれる仲間を増やす。刺青が社会悪か芸術かなんてどうでもいい。それよりも、そんなくだらない論議の壇上に立たされているみんなが、一刻も早くそこから降りれたらいいと思ってる。それが人でも表現でも、自分が心から望むような存在の仕方を選ぶべきだ。
HDM:現在はアムステルダムでタトゥースタジオをオープンされてるんですよね。彫師はGAKKINさんお1人ですか?
GAKKIN:アムステルダムには去年の夏くらいに来ました。今のところ常時いる彫師は僕ひとりなんですけど、たまに知り合いの彫師が来た時なんかに場所を使ってもらえるくらいのスペースはありますよ。
HDM:以前は関西にいらっしゃいましたよね。
GAKKIN:そうですね。20代の頃は大阪でやっていたんですけど、30歳で京都に越してきて、四条河原町でスタジオを構えてやっていました。
HDM:そこから、新たに腰を据える場所としてアムステルダムを選んだのはどうしてですか?
GAKKIN:京都に住んでいる頃からアメリカとヨーロッパには度々訪れていたんですけど、こっちに住むことは前々から計画性を持って考えていたことでもなくて、ほとんど突発的に(笑)。
HDM:アムステルダムと日本での大きな違いはありますか?
GAKKIN:そう聞かれてみると、そこまで大きな違いというのは無いに等しいかも知れないですね。僕は日本にいた頃から日本人よりもヨーロッパやアメリカから来てくれるお客さんが大半だったし、それはこっちに来てもあまり変化はなくて。
HDM:それなら、確かにそちらに居住するメリットの方が大きそうですね。
GAKKIN:そうですね。ビジネス的にも、アムステルダムにスタジオを構えるほうがスムーズだったんですよね。アメリカにいた時にも3年間のアーティストビザを取得してはいたんですけど、実際にスタジオを開くということになると結構条件の敷居が高くて。それで「ヨーロッパならどこでもいいな」という気持ちもあって、アムステルダムに決めたという感じですね。
HDM:アムステルダムは世界中のアーティストやクリエイターに対して寛容な印象があります。
GAKKIN:そうですね。アムステルダムでは、タトゥーカルチャー自体はそんなに注視されていないように感じますけど、かと言ってタトゥーに対する偏見があるわけではなくて。ここにはグラフィックデザイナーやペインターなど、世界中からあらゆるジャンルのアーティストやクリエイターが自立活動する為に集まってきている街で、申請も通りやすいというのもあるんでしょうね。
HDM:アムステルダムに居住されて1年ということですけど、そちらでの生活が描かれる絵に影響したりとかはありませんか?
GAKKIN:実は、アムステルダムに渡ってくる以前というのは、同じ場所でずっと作業し続けていくことに対する疑問が、自分自身の中に浮かんできていた時期ではあったんです。同じものを毎日見て、同じような作業を繰り返す、という日常の中で、果たして新しい何かを見つけることができるのかどうか、ということを感じていました。
HDM:ルーティン化していたそのサイクルから一度抜けてみる必要があったということですか?
GAKKIN:気分転換のような感じですね。まだこっちにきて1年経つかどうかという時期なので、現時点では何か著しく大きな変化が得られたということは実感しにくいですが、後になって自分で「新しい変化」というものを確認できたらいいなとは思います。
HDM:作品以前に、自己意識に対する変化を感じてみたいということですか?
GAKKIN:うん。作品に対する影響も勿論あるけど、1番は自分自身の変化を見てみたかったからかな。今は家族で移住しているんですけど、子供はこっちで育てようかなって考えていたりもしたので。でもね、ここまで喋っていて何なんですけど、僕は…本当に自分でもようわからん人間なんです(笑)。思い付きっていうか、熟考せずに動いてしまう性質があるので。今ここで「いつかは日本に戻ろうかなと思います」って言ったとしても、気が向いたら明日に帰っているかも知れないですよ(笑)。もっと言うと日本じゃなくてもいいかな。香港でもいいし、最近ではタイもいいなと思ったり。自分の身を置く場所っていうものを、今だに探し続けているって感じなんですよ。
HDM:(笑)。それでも、いつかは日本に戻ろうという選択肢があるのはどうしてですか?
GAKKIN:やっぱり日本が好きなんですよね。こっちに来たのも、先ほど言ったように気分転換のようなタイミングだったから、正直「飽きたら日本に帰ろう」って程度に思っています(笑)。
HDM:GAKKINさんの近年の作品は、単色のシンプルさが本当に格好いいんですよね。若冲を彷彿とさせるような、日本画と西洋画の両方の影響を感じます。
GAKKIN:ここ最近、自分自身の好きなテイストがそういうものなんでしょうね。いろいろと追求してきた結果、もっとシンプルを極めていきたいという思いはあります。最近になって「絵」と「刺青」は全然異なるものということも理解できましたし。
HDM:私は、自分の身体に刺青が入っていない分、刺青に対しては完全に「外側から鑑賞するもの」という認識なんです。描かれている側から見て「絵」と「刺青」の違いってどういうところなんですか?
GAKKIN:まず、描くものが紙上ではなく人の肌であるということですよね。肌の色や凹凸、人それぞれに異なった状態を持つものの上での表現ということ。あと、最近の僕の意識としては、ディテールにこだわっていた時期を経て、例えば5メートル先から見ても認識できるようなデザイン性を追求したいと思っています。10センチ20センチの距離で目を凝らして見る絵の素晴らしさも勿論ありますけど、現時点での僕の関心は、一瞬で目を引きつけるインパクトや構図、色遣いといったものに向いていますね。
HDM:描くものやタッチに何か変化を感じる時って、明確に何かからの影響があったりはしますか?
GAKKIN:僕自身は日本画が大好きですし、さっき仰っていただいた若冲なんかは、今だに画集を見続けているくらい大好きな絵師です。特に影響を受けた、と聞かれると難しいんですけど、きっとこれまでの人生で出会ったいろんな人やデザインの影響を少しずつ受けて、自分の創作に繋がっているんじゃないかなという気はします。
HDM:描かれる時に、こだわる部分があるとしたらどういったところでしょうか?
GAKKIN:僕は前もって下絵を描かないんです。すべてフリーハンドで、ボールペンで肌にラフを描いたものを元に彫っているんです。僕自身、あまり考え込まない方がいいものができると思うし、お客さんも幾つかある絵の中から良いものをひとつ選ぶとなると迷いが出てしまうんですよね。それなら、お客さんと話してヒアリングをしながら、その場で仕上げていく方がいいと思っていて。でもこれって、本当に無責任な話ですよね(笑)。
HDM:ご自身の意識としては、アーティストと職業作家、どちらの方が強いですか?私は作風を拝見して、GAKKINさんはアーティストという認識の方が強くあります。
GAKKIN:僕は完全に職業作家ですね。アーティストと見て頂けるのは嬉しいですが、画力については自分の程度をよくわかっているんです。だから、自分の力量やセンスをきちんと理解した上で、その中でできるものを提供できたらと思っています。経験とか影響とか、そういったものを自分の中で消化して巧く使っていけているような気はしますし、また新しい環境で得られたものを絵の中に投影できたら嬉しいですね。
HDM:GAKKINさんの作品には、いわゆる「模倣だけではない」絵を描かれる才能を感じます。
GAKKIN:僕は、自分の描く絵をオリジナルだとは思っていないんです。ただ、何かを見るとその影響を大きく受けてしまう可能性は高いので、あまり人が彫った作品は見ないようにはしています。頭の中で既に完成された絵が刷り込まれると、どうしてもそっちに寄っていってしまうので。僕は師匠に従事するような伝統的な刺青をやってきたわけではないから、彫師として自分にしかできないものを自分の思索と手で探していく、ということを必然的にやってこれたのかも知れないです。
HDM:GAKKINさんとお話するにあたって、この話には必ず触れることにはなると思っていたのですが、先の摘発で日本では現状として彫師が活動しづらい状況にあります。そんな中でも、日本に戻りたいと考えていらっしゃいますか?
GAKKIN:あの一件に関しては、個人的には「日本の刺青文化を簡単に壊すとかは警察とかには無理」って考えてます。社会の認識がどうであれ、このカルチャーを好きな人たちがいて、彼らと同様に僕自身も好きな仕事をやっているだけですから。摘発に対しての憤りはありますが、それによって根を絶たれるような恐怖心はないです。多分、今日本でやり続けている人たちも同じ気持ちなんじゃないかな。僕らが好きだと思うタトゥーカルチャーが社会的に見てグレーであれブラックであれ、自分の中での価値観は変わらないから。だから(グレーであれブラックであれ)自分がその時に生きたいと思ったところで、自分の仕事をするつもりです。
HDM:あれは、警察の突然の思いつきのように、いきなり行われましたよね。
GAKKIN:大阪で行われた一斉摘発からはもう2年ほど経つんですかね。あれで、僕の仲間も留置所に入れられたり、多額の罰金を支払うことになったみたいで。この先は本当にどうなるんでしょうね。先の摘発された件についてはまだ裁判が続いているみたいですけど、このカルチャーを10年先も20年先も続けていきたいなら、認可に向けて具体的な対策が必要なタイミングではあるのかも知れないですね。僕自身がそういった動きに参加できていないのが申し訳ないんですけど、何らかの形で貢献できたらいいなとは思っています。
HDM:彫師とお客さんの双方で成立していたものが、急に犯罪のように扱われる違和感は凄くあります。
GAKKIN:本当に、憤りしかないですよ。僕自身は、これまで仕事で巡ってきた海外でする時はライセンスを取得してやっているんですが、なぜ日本という国には海外と同様にライセンスシステムが無いのかということも考えますよね。海外では保健所からの指示や衛生面での審査、筆記試験という段階を経て、ライセンスが発行されるのですが、日本ではそれが通用しない。やることが同じでも、国という場所が違うだけでという理由では納得できないですよね。
HDM:公的になるべきという見解と、反対にそれはダメだという両方の意見もあるでしょうね。
GAKKIN:このカルチャーは日本ではずっとグレーゾーンで存在してきたものであるし、それでいいという考えの人たちも多くいるのも事実なんですよね。グレーゾーンのまま成立していたものを誰かが大袈裟に騒いだことで、警察も動かざるも得なくなったという側面もあるんでしょうし。公的なものではないまま、ほとぼりが冷めるのを待っていた方がいいという考えも理解できますし、同時に、もし日本でも海外と同様なライセンスシステムが導入される可能性が少しでもあるなら、それは絶対的にそうなった方がいいと思うので。だけど悲しいかな、日本ではそういう方向には動きそうもないというのが、現時点での現実ですよね。
HDM:話は変わりますけど、GAKKINさんが生まれて初めて入れた刺青は何でしたか?
GAKKIN:最初に入れたのはね、友達とふざけて入れ合ったアナーキーマークです(笑)。
HDM:その頃から彫師になろうと?
GAKKIN:まったく(笑)。それまで絵なんかロクに描けなかったし、美術の成績も悪かったですよ。でも、初めてスタジオでちゃんと彫師に絵を入れてもらった時、「俺も絶対に彫師になる」って決めました。